反動的強度と「否定の否定」

[叡智学] 検討問題 30:反動的強度と「否定の否定

1) 反動的強度とは、イデア界にどのような影響を及ぼすか
2) 『資本論』における「否定の否定」とは何か

1について検討しよう。喜びないし共感性は、イデア界の強度に通じよう。つまり、身心に強度が注がれると言えよう。しかし、苦、悲しみが身心を占める場合、強度は破壊的になる。これはどういうことなのだろか。本来、強度は差異と差異との共存する力である。共存ではなく、破壊に使われる強度とは何か。それは強度ではないのではないか。つまり、差異が90度回転して、差異の連続体が形成される。そして、この連続体が有機体・生命体・器官ある身体となる。そして、この連続体における苦、悲しみが、水平線のイデア極を閉ざす、閉鎖する、遮蔽するのではないだろうか。つまり、反動暴力とは、強度ではなくて、連続体の反動である。連続体の力が強度ではないとしたら、それは、エネルギーであろう。つまり、反動エネルギーが、そこには生じていると言えるのではないだろうか。すると、強度はそこでは遮蔽されているのだ。水平線の下部のみの領域の出来事となる。つまり、現象界の出来事となる。ということで、反動的強度とは間違った命名であり、訂正して、反動エネルギーとしなくてはならない。
 では、遮蔽された強度はどうなるのだろうか。喜び、共感性ならば、強度が流入するだろう。では、閉ざされた強度はどうなるのか。それは、衝動となり、連続体を突き上げるのでないだろうか。そして、またそれが遮蔽される。つまり、反復である。フロイト反復強迫と述べたものはこのことを指しているのではないだろうか。そして、死の欲動とは、この反動エネルギーと強度との衝突による分裂的力動のことではないか。衝突というよりは、強度を押しとどめようとする反動エネルギーの力動が死の欲動ではないだろうか。強度に対して、反作用するので、その分、反動エネルギーは強化されるだろう。これが死の欲動ではないだろうか。この場合は他者への攻撃として現れる。とりわけ、強度的他者である。つまり、ルサンチマン的な反動エネルギーは、真の強者に、暴力的になるのである。正に、ニーチェの強者と弱者のパラドクシカルな分析・洞察は正しい。では、自己に向けた死の欲動はどう説明されるだろうか。これは精神・心身的病気の構造と関係しよう。思うに、連続体のエネルギーで生きていた者が、連続体のなんらかのエネルギーを失うとき、連続体は反転して、イデア極に向いて、イデア界の「平安」を指向するのではないか。つまり、連続体が弱体化して、強度にさらされ、牽引される。この牽引力が自己への向けた死の欲動ではないか。思うに、ここでは、イデア界、差異の共存界の存在を知ることが治癒に導くかもしれない。例えば、近親者の死とは、実は、イデア界への帰還を見ることで癒されるのではないだろうか。人間のエッセンス・イデア・差異は永遠にイデア界にあるのである。不滅であり、いつか、また新たに現象化しよう。また、失恋とかの傷は、身体強度を発動することで癒されるだろう。つまり、失恋とは、失恋者には、当の恋人は適していなかったということである。いわば、思い違いをしているのである。とまれ、連続体は不調であるが、それを超えたイデア界、強度を肯定することで、癒されよう。エネルギーから強度である。また、失業や借金の場合は、それは、社会自体の問題もあるが、それも、実は連続体としての生活だけでなく、イデア界的な生活があることを知らせていることのように思える。以上で、1)の問題の検討を終えたこととしよう。

次に2の問題の検討に入ろう。
 『資本論』の「否定の否定」とは何なのか。マルクスは、中世における職人的仕事が否定されて、労働者になることを、個体的所有の否定と考えた。そして、この否定を否定することが、「共産主義」であると考えていた。妥当な線では、新たな個体的所有の復活である。「正」としての個体的所有、「反」としての無産としての労働者、「合」としての新たな個体的所有。これがマルクスのヴィジョンであろう。しかし、最初の否定には、資本主義の暴力がある。貨幣資本主義経済の力学があり、これが労働者の生活を無産とするのである。排他的な資本主義・貨幣経済による暴力性によって「反」が生じる。では、「否定の否定」とは、論理的には、資本主義暴力の否定=暴力である。つまり、反動の反動である。ということは、反動の論理である。この階級闘争の論理は、権力=暴力の論理(ヘーゲル哲学)であり、確かにレーニン的な革命闘争につながるだろう。つまり、思うに、レーニンマルクスヘーゲル哲学を捉えて、レーニン主義を作ったのだろう。結局、マルクスは分裂していたのだろう。一方では、独立自営民の発想(これは、思うに単独者、シュティルナーの唯一者に近い発想だろう)と、他方、階級闘争という独裁主義に近い発想をもっていた。そして、レーニンは後者を集中的に展開したと言えるのではないだろうか。結局、マルクスは、ヘーゲルに入れ込みすぎて、ミイラ取りがミイラになったと言えるのではないだろうか。初期マルクスの問題は差異の交通にあったはずである。それが、反動的な革命思想になってしまったのではないだろうか。