境界問題:ガウス平面とイデア界

[備忘録][叡智学][数学] 境界問題 9:ガウス平面とイデア


 数学の素人なので、初歩的ミス等を犯す可能性があるが、問題は思考・アイデアにあるので、後で訂正できるだろう。ということで、検討を進めよう。

1)ガウス平面をイデア界としたらどうなのか。あるいは、イデア界をガウス平面としたらどうだろうか。差異α(α、αi)としよう。そして、これをベクトルにしよう。α→である。つまり、強度αをもったベクトル=差異である。

2)以上では、連続体となるではないだろうか。やはり、数直線から考えよう。x軸の数直線である。ここに差異の共立体があるとしよう。差異α、差異β、差異γ、・・・差異ωである。これを90度回転させる。i化である。

3)否、考え直そう。逆に、y軸=虚軸=i軸上に差異の共立体があるとしよう。これをイデア界としよう。実数界から見れば、実際はゼロではないが、ゼロに見えるだろう。とまれ、(0,差異)である。つまり、実数界からはゼロであり、虚数界からは、共立体である。これは、いわば一種重なりと呼べるのではないか。つまり、差異αと差異βが実数ゼロで重なると。しかし、この重なりは、不連続的である。これまでは、この実数ゼロを見て、差異=微分としたのではないか。しかし、実数ゼロであるが、虚数はゼロではない。差異強度がある。

4)やはり、元にもどして、x軸に差異の共立体があるとしよう。それが、90度回転して、y軸上に並ぶ。x軸を差異軸とすれば、y軸は重層軸か。とまれ、y軸上にある差異共立体とは、x軸から見ると、ゼロ度であるが、実際は、i次元の差異=強度をもち、不連続的だろう。では、i次元の差異=強度とは何か。それは、極限的近接・凝縮・圧縮等ではないか。しかし、同時に、極限的離散・拡大・膨張であろうか。つまり、差異境界がいわばフリーになるのであろう。ゆらぎ状態となるのだろうか。y軸上を対の差異が揺れ動く状態だろうか。このゆらぎが、原時空間ではないか。つまり、メディア界であり、そして、これが内外裏返しになるようにして、現象界化するのではないか。つまり、現象界をたとえば、バレーボールのボールにすれば、その裏側がイデア界である。表面が現象界である。y軸でのゆらぎ強度がある集合体(ガタリでいうとアジャンスマン)を形成する。それが、おそらく、即現象界ではないか。つまり、y軸での差異強度のゆらぎの集合体(アジャンスマン)が、現象化(ボール)ではないか。ボールの裏面とは比喩だろうか。つまり、イデア界での出来事(y軸でのゆらぎ集合)が、現象界に映るということではないか。つまり、y軸とは、イデア界と現象界との境界であるメディア界ではないか。ならば、x軸を差異軸、y軸をメディア軸として、z軸として現象軸が想定できるだろう。z軸に、イデア界の出来事が映るのだ。差異=微分→異化=積分的連続体として映るのだろう。プラトンの洞窟の比喩を想起する。光とは、x軸にあり、それがy軸を通して、z軸に現象(影)化する。(私はわからないが、ここで、射影幾何学トポロジーが関係するのではないか。)つまり、現象界とは、z軸であり、ここに映るx〜y軸の出来事を観照しているのだろう。x軸が原光の世界として、y軸がゆらぎの境界として、z軸が光の世界である。図示しよう。


x軸・・・・・・・・・ 原光・・・・・・・・・イデア界・差異界(・複素数?)
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y軸__________ |__________メディア界・境界面・虚数i軸
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z軸・・・・・・・・・・ 光・・・・・・・・・・現象界(・実数?)


私のイメージとしては、なにかスクリーンを通して、イデア界の太陽を見ているとか、水面下から上空の太陽を見ている感じである。そう、タイや東南アジアにある影絵がいい比喩かもしれない。イデア界はスクリーンの向こう側にあるが、観客はこちら側からスクリーンの影絵を見ているだけである。聖書で、「暗いベールを通して見る」というような有名な表現があったがそれは的確なのだろう。そう、連想はギリシアディオニュソス劇場、古代ギリシア劇に進む。ニーチェの『悲劇の誕生』によれば、主人公の本体はディオニュソスである。それはまた仮面劇である。仮面とはメディア界、スクリーンのことだろう。では、ディオニュソスとは何か。それは、生命イデア、太陽イデア、原光、原光・原火、天照であろう。ヘラクレイトスの言ったロゴスとはこれであろう。イデア・ロゴスであろう。また、キリストも結局、ディオニュソスの一つの変容であろう。(「我は復活であり、生命である。」)では、太陽イデアとは何か。それは、単体の差異なのか。それとも差異共立体なのか。この点は後ほど、詳しく検討することとして、今は太陽イデア・差異があるに留めておこう。これにより、無数の星が生成されるし、生命体も誕生しよう。そう、多様な星のイデア・差異があるのかもしれない。惑星のイデア。この多様・多元的な星のイデアの共立・アジャンスマンによって、生命体(イデア共立体)が形成されるのかもしれない。星と人間や生命体は同素体であるとなるのではないだろうか。

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