PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす

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PS陰陽論における陽主導と陰主導の違いについて:陰陽調和をもたらす力学


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合


PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11956926277.html


 (「先に以上のように述べたが、少し補足したい。)
本件については、かつて何度も検討したことがあるが、未だ、直観的には、不確定であるので、ここで新たに検討したい。
 問題は、陽主導の場合、同一性、物質化が生じ、陰主導の場合、陰陽調和が生起するということである。
 これまで、陰陽調和は、陰陽ガウス平面のMP(Media Point)つまり原点において、なされると見ているのあり、そこにおいては、太極の一(いつ)が作用していると考えているのである。
 しかし、MPと陰自体は異なるのであり、陰主導がどうして、陰陽調和をもたらすのか、明示する必要がある。
 この問題は微妙である。
 陽主導の場合、陽は陰を同一性化してしまい。陰自体が否定されるのである。しかし、陰主導の場合、陽自体は、同一性化されない。つまり、陰は陰としてあり、陽は陽としてある。
 また、本来、男性は陽主導であり、女性は陰主導であると述べたが、現代女性は、男性化して、陽主導であり、陰がそれに付随しているようなことを既述した。
 つまり、男性にしろ、現代女性にしろ、陽主導なので、陰自体が否定されていて、陰の主導性が欠落していると考えられるのである。
 言い換えると、陽主導による陰陽の癒着があると考えられるのであり、陰陽分極が否定されていると考えられるのである。
 そのように考えれば、陰主導によって陰陽調和がもたらされると考えるのは、妥当であると言えよう。
 以下、海舌氏の人間認識図を参考にして、新たに陰陽認識図を説明したい。




         人間認識図(海舌氏による)

陰陽認識図としては、上図をひとまず、左右反転する必要がある。
 そして、陰陽認識図においては、第一象限を霊の世界、あるいは、哲学、哲学的科学の領域とする。
 第四象限は、魂の世界、あるいは、芸術・宗教・倫理の領域となる。
 第二象限は自我界、物質界、現象界、また、物質科学(唯物科学・技術=近現代)の世界である。
また、第三象限は、自我的な感情・欲望界である。
 つまり、自我の世界は、左半面の領域であり、陰陽調和は、右半面の領域となる。
 では、氣の世界はどこに存するのであろうか。
 氣は虚軸に存するのであり、それが、陽主導において、左半面領域へと、陰主導において右半面領域へと展開すると考えられる。


追記:シュタイナーに拠ると、人間と植物(樹木)とは上下反対になるのである。
 だから、以下の陰陽認識図は植物的構図と言えよう。
 人間の場合は、以下を左右反転する必要があるということになろう。つまり、人間においては、虚軸はそのままでいいが、実軸において、右が−1となるのであり、左が+1となるのである。
 植物においての天が人間では実軸の左の線分となり、植物の地が人間では、実軸の右の線分となるのである。


             虚軸 陽凸i
               |
               |
               |
第二象限(物質界)   | 第一象限(霊;哲学、哲学科学)
               |
               |
−1 ________MP________+1 実軸
               |
               |
               |
第三象限(感情・欲望) | 第三象限(魂;芸術・宗教・倫理)
               |
               |
              陰 凹i

          
              陰陽認識図







PS陰陽論から、何故、父権自我(陽自我)が、悪魔的になるのか説明したい


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合


PS陰陽論は簡潔な哲学・科学仮説であることが一つの取り柄である。
 寝る前に(もう、だいぶ眠いが)、ポイントを述べたい。
 即ち、陰陽力学において、陰が主導的になるときと、陽が主導的になるときがあると考えられる。前者を私は母権的、後者を父権的というのである。実に簡単であろう。
 陰が主導的な場合は、陰と陽は共振・共鳴・和合するのであり、それが、根本的な生命エネルギーである。
 しかし、陽が主導的な場合は、陰と陽は共振せず、陽が陰を支配するのである。これは、哲学的には二項対立である。
 そして、陽とは自我、父権自我である。同一性である。これは、他者を排除するのである。端的に、これは人間的というより、物的、物質的なのである。他者を物、物質、量的なものと捉えるのである。(追記:また、単に、意識的に物質主義的であるばかりでなく、生命的に物質体を形成するものと今の段階では考えている。つまり、陽主導性は、物質体を形成するということである。陰陽方程式凹i*凸i⇒±1で言えば、⇒−1が物質体を形成するということになる。)
 故に、平気で、他者を否定、排除、殺戮するのである。
 一般的に言えば、こころがないのである。たましいがないのである。
 いわゆる、文明とは、実は、父権文明、陽自我文明であり、それ以前の母権文明を否定・排除・抹殺して生まれたものと考えられるのである。
 故に、文明とは殺戮文明、戦争文明なのである。その帰結が、現代の軍産複合体資本主義文明である。そして、その断末魔が今、日本に押し寄せているのであるが、国民は超能天気である。
 とまれ、ここで主張したいのは、自我、父権自我とは、結局、物質主義であるということである。唯物論的なのである。
 同一性主義である父権自我は、当然、物質科学・技術を発展させたと言えよう。
 ここには、共生・共存という視点は欠落しているのであり、平和はありえないのである。
 そう、父権自我文明は、物質主義文明であり、人間主義文明ではないのである。
 しかるに、母権自我には、こころがある。正確には埋れているのである。これを活性化・覚醒化しないといけない
 父権自我文明とは悪魔文明に帰結したのであり、新母権自我文明を誕生させるべきなのである。
 もっとも、ロシアがその中心になることが今や明らかになっている。
 日本は、滅亡するだろう。そして、少数者によって復活するだろう。
 最後に、やや唐突であるが、うつ病等の心因病について言いたい。 
 これは、父権自我病と言えるのではないだろうか。
 父権自我は、氣や魂や霊を抑圧排除するので、生命である陰陽共振が生起せずに、エネルギーが枯渇するのである。
 そう、それらは反動となり、否定的に自我に作用し、自我を混乱させるとも考えられるのである。
 やや、雑駁であるが、ここで留める。もう23時前であるが、もう寝る。


追記:母権文明ないし新母権文明とは、生命主義文明である。何故なら、陰陽共振調和とは、生命生成の謂であるからである。