不連続的差異論が誕生してから今年の9月で10年になる

不連続的差異論が誕生してから今年の9月で10年になる


テーマ:不連続的差異論とPS哲科学


ブログを始めて、もう10年経った。
 そして、2004年9月、ブログ上でkaisetsu氏と遭遇して、まったく予期しなかった不連続的差異論が誕生して、10年になろうとしている。
 残念ながら、kaisetsu氏とは、一昨年、理論的見解の違いから、断絶してしまった。
 しかし、不連続的差異論の誕生の感動は、ほんとうに大歓喜、狂喜であった。感動のあまり、最勝超至高不連続的差異論と呼んだりしたものだ。(簡単に説明すると、自我とこころが不連続であることの認識、両者が切断できたことが、本当に喜びであったのである。つまり、それは、解放の歓喜である。自我とこころが連続であるとそれまで感じて、自我とこころが衝突していたのである。自我は、こころを否定しようとするが、こころは、その自我の否定から脱して、バランスを取ろうとするのである。しかし、両者、不連続であると認識し、自我にこころを否定させるようなことは、ほとんどなくなったのである。その事態は今でも存在しているのである。)
 その後、ガウス平面を取り入れたPS理論(最初は、
i*(−i)⇒+1という自己認識方程式が基礎となった)が誕生した。これは、kaisetsu氏のいわば、天才的創造である。
 その後、PS理論を展開していったが、ある意味で行き詰まったのである。
 私から言うと、kaisetsu氏と私の視点が乖離してきたのである。
kaisetsu氏は、より物理学的な解明を行なった。
 そう、虚軸の解釈が両者でずれていると感じていた。私は、今で言えば、氣的視点をもっていたが、kaisetsu氏は、物質に忠実な物理学的視点を発展させていったのである。(追記:虚軸だけでなく、実軸の解釈もずれていたのである。もっとも、一番の問題点は、i*(-i)⇒+1の、積である*の解釈であった。今思えば、私の勘違いであったが、陰陽調和は、陰-iを否定する必要があると思えて、⇒−1になると思って、kaisetsu氏の⇒+1とは逆に考えたのである。しかし、陰 -iを否定するのは、実は、陽i自我であり、それは、⇒-1の同一性=物質認識になるのである。とまれ、当時、あまりに数学中心主義に危惧を感じたのであり、私は、哲学的視点を放棄すべきではないと考えて、kaisetsu氏からの乖離を強く感じたのであった。)
 また、私は、精神・霊的学者のルドルフ・シュタイナーの著作等からの刺激で、ガウス平面だけの視点では、足りないと感じていたのである。
 結局、霊的視点の問題が起ったのである。
 そして、ここで、私とkaisetsu氏は、分離してしまったのである。
 具体的には、kaisetsu氏は、ガウス平面から離れて、四元数をベースに、立体的視点へ移行したのである。
 私は、陰陽論やガウス平面の結びつきは見事であり、そこから、離れるつもりはなかったのである。
 私はkaisetsu氏から分離し、独自の路線を歩き出していたのである。
 PS理論から離れていったのである。しかし、その後のいわば、混迷に近い試行錯誤から、再び、PS理論の基本を取り入れてて、今のPS陰陽論を唱えることになったのである。
 そう、非常に残念なkaisetsu氏との断絶であるが、結局、私は、こころ・精神の現象を中心にしたのに対して、kaisetsu氏は、物理学、物質力学を重視していたと思える。
 そう、言い換えると、私は哲学的思考が中心であったが、kaisetsu氏は、物理学的視点が中心であったと思う。