陰陽ガウス平面人体図式仮説:−1が外界・脳・意識的であり、+1が

作図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11907741091.html


陰陽ガウス平面人体図式仮説:−1が外界・脳・意識的であり、+1が内界・内臓・無意識的である


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合


                     凸i虚軸
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−1_____|_____+1 実軸
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                      凹i


いい作図ではないが、例えば、人体において、−1を外部志向、+1を内部としよう。−1に感覚器官があるのであり、+1に内臓器官があるのである。
 脊椎や脳は、当然、−1の側にあるだろう。
 そして、自律神経系は+1であろう。
 思うに、心臓は人体の中心ということで、原点、MP(Media Point)にあろう。
 そう、私のいう「こころ」もそこに位置しよう。道教で言えば、中丹田である。そこで、氣、虚軸の凹i*凸iの陰陽を感じるのである。
 だから、意識と言った場合は、−1の領域であり、無意識と言ったら、原則的に+1の領域と考えられる。
 そう、具体的に言えば、頭は−1であり、こころ=心臓=heartが原点=MPであり、肚が+1である。
 そして、通常の光は−1の領域に存しよう。そして、氣は+1の領域に存するのかもしれない。しかし、それは、発生した氣であり、根源の陰陽氣ではないのではないだろうか。
 とまれ、+1が闇であるとしておこう。(思うに、虚軸の陰陽氣とは、虚氣と言えるのではないだろうか。そして、実軸+1は実氣と言えるのではないだろうか。例えば、人体の経絡の氣はそのような実氣ではないだろうか。)
 ここで、シュタイナーの神秘生理学を適用すると、太陽系は、主に+1に属することになるのか。
 否、そうではない。実在の太陽系は、−1の領域にあろう。それが、人体においては、+1に挿入されているということだろう。
 そう外界の領域を明確にする必要がある。
 −1はあくまで、人体上の領域である。
 外界は、第二象限と第三象限に存するのではないだろうか。そして、内界は第一象限と第四象限ではないだろうか。
 そう、前者が外界宇宙であり、後者が内界宇宙である。
 正確に言うならば、二つの螺旋があるだろう。−1の側の螺旋と+1側の螺旋である。前者が外的宇宙であり、太陽系である。それに対して、+1の側の螺旋が内的宇宙ないし小宇宙となるのではないだろうか。
 外的宇宙、太陽系が、内的宇宙、小宇宙と対応・呼応・照応するということになるだろう。
 そう、−1領域は、物質現象界であり、+1領域は内的身体界である。
 そして、両者にフィボナッチ数列的螺旋が生じると思われる。
 マクロコスモス・大宇宙とミクロコスモス・小宇宙の照応である。あるいは、フラクタル的相応とも言えよう。
 これで、占星術は合理的に説明できよう。外宇宙と内宇宙が呼応しているのである。
 そして、惑星数であるが、それは、7という神聖数、秘数に関係しよう。
 そして、問題は、黄道十二宮、獣帯である。
 これは、何か。これは四大×3(正三角形)=12宮(サイン、星座)と見られるだろうか。思うに、四分割と三分割の積で説明できるのではないだろうか。
 四分割は、2等分割の自乗である。そして、三分割は、三位一体と関係する要素である。そう、これは、フィボナッチ数列に関係するのかもしれない。1+1=2、1+2=3の3である。
 そう、太陽系と内臓が呼応していると同時に、黄道十二宮・獣帯は人体や性格と呼応しているとことになろう。
 そう、性格はアストラル体に関係しよう。つまり、アストラル体(星氣体)が性格形成しているのである。それは、霊魂の魂の要素と考えられる。つまり、超陰陽の凹I*凸Iの凹Iである。
 そうすると、黄道十二宮・獣帯は、−1の領域ではなく、超陰陽界の凹Iに属することになるようだ。
 そうならば、通常の虚軸は何を意味するのか。
 こういうことではないだろうか。−1側、外宇宙の螺旋であるが、それは、虚軸の陰陽氣による現象形成であると同時に、そこに、超虚軸(凹Iと凸I)の超陰陽氣つまり霊魂氣が作用しているということではないだろうか。この場合は、霊魂氣の魂=アストラル体(星氣体)が作用しているのである。
 では、さらに展開すると、霊魂氣の霊は自我を意味するが、それは、それは、どう、外的現象に作用しているのか。
 外宇宙における「自我」があるのか? 人間ならば、それでいいのである。思うに、−1に霊=自我は重なっているのである。では、外宇宙的にはどうなのか。
 ぴんと来ないが、理論的には、外宇宙的にも「自我」が重なることになる。それは何?
 それはひょっとして、外的宇宙の周縁、外周、境界ないし形ではないだろうか。ドームのような形としての外的宇宙の形姿(けいし)を意味するのではないだろうか。
 これは課題としておく。






リンク等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11906602248.html


陰陽形成原理:フィボナッチ数列的螺旋生命有機体形成力学の仮説


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合


先に、参照1を記したが、既に、参照2でほぼ同じ視点のことを書いていた。即ち、等分割+均衡原理という視点が、参照1の一体・全体的力学と共通しよう。
 フィボナッチ数列が等分割+均衡原理によって、螺旋を描いて、正多角形の有機体(例えば、蔓や樹木)を形成していくというように考えられる。
 そして、有機体化、有機的物質体の原理は、参照3から推理できるのではないだろうか。
 ただし、虚軸は時間軸と見るのであり、実軸を天地軸と見るのである。そして、天地軸が一つの空間次元であり、他の2つの空間次元が生じると見るのである。天地軸を基軸にして、例えば、蔓は、螺旋を描いて伸びると見るのである。
 問題は、植物生命原理の核である。陰陽原理が、数的等分割+均衡原理=一体・全体的力学をもたらすと見るべきであろう。そう、陰陽力学(氣的力学)が、フィボナッチ数列的螺旋力学を構築すると言えよう。これは、いわゆる、オートポイエーシス、自己組織化であろう。
 ということで、ざっとではあるが、植物的生命形成原理の仮説ができたことになる。
 次に、人間形成原理であるが、これは、シュタイナー精神・霊魂科学から見ると、太陽系形成と呼応しているのである。
 太陽系を人体に取り込んでいるのである。
 だから、これは、氣的陰陽力学からは説明できなくなるのである。しかし、惑星の重要な7という数字であるが、これは、3と4の秘数で説明できるのではないだろうか。
 そう、ピュタゴラス学派の神聖数5からも考えられそうである。
 今は、この点の問題提起に留める。
 

参照1:
数霊ないし数氣:数的陰陽論:数は、幾何学は、霊・氣的力学で一体化していよう
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11900546023.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合
先に以下を書いたが、直観したのは、数は、一体・全体(oneness・wholeness)的力学をもっているのではないかということである。
 例えば、1という数は、それで、全体であり、2という数字は、全体をもちつつ、二分割を意味するのである。そう、陰陽論である。二元論、二項対立ではないのである。1という全体の背景があり、そして、2で、二分割されるということで、正に、陰陽なのである。

追記:フィボナッチ数列について、以上の視点を適用するとおもしろいだろう。
 0、1、1、2、3、5、8、13、・・・
である。
0+1=1、
1+1=2
1+2=3
2+3=5
等々である。

後で考えたい。

追記2:フィボナッチ数列であるが、それは、やはり、直前の分割数と現在の分割数の和が次の分割になるということではないかと思う。
 つまり、数的一体・全体論から見ると、直前の分割に現在の分割が組み込まれて、次の分割になるということではないだろうか。
 たとえば、1+2=3、2+3=5の場合を見ると、現在3分割ならば、直前は2分割である。そして、直前の2分割+現在の3分割=次の5分割ということではないだろうか。
 結局、直前の分割が全体になっていると見ればいいのではないだろうか。ただし、直前の分割に現在の分割が足されるということがポイントである。
 直前の分割が前提であるが、そこへ現在の分割が中へ入り、いわば、等分割になるということではないだろうか。上の例で言えば、2分割の前提に対して、3分割がその中へ入るのである。
 そして、2+3=5で、5分割(5等分割)になるということではないだろうか。
 そう、掛け算ではなく、どんどん、全体に押し込められる様子である。


参照2:
仮説:フィボナッチ数列は等分割の数だけでなく、均等原理を内在する:フィボナッチ数列ベクトル
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11819109717.html


テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように述べたが、補足すると、90°回転において、形成されるフィボナッチ数列であるが、単に等分割の数だけでなく、そこには、均等原理(原則、法則)が働くのではないだろうか。即ち、たとえば、1+2=3の場合は、円を3つに等分割するような均等原理が働き、正三角形が形成されるということになる。2+3=5の場合は、円を5つに等分割にする均等原理がはたらき、正五角形が形成されるということになる。
 均等原理という考え方は、無理のない自然な考え方だと思う。つまり、常に、全体の一(いつ)、統一の一(いつ)、つまり、円があるが、そこに各数列の数が生起すると、全体がその数によって等分割されるという均等原理、均等力学が作用するというのは、わかりやすいと思う。
 つまり、全体の一、統一の一の中の数列の数ということであり、全体が分子、数列の数が分母になるということである。
 後で整理したい。

追記:言い換えると、力の均衡原理とも言える。一(いつ)の力の場において、ある整数が発生する場合、常に、全体の一(いつ)における整数であり、バランスをとって、等分割されるということである。つまり、全体の原理が整数にはたらくのであり、全体の原理が整数を均等分離すると思われるのである。
 簡単に言えば、例えば、5という整数ならば、1に還元されて、五等分、五等分割されるということである。つまり、単位数の1に還元されるということである。
 あるいは、別の考え方をすれば、整数分のベクトルが生じると見てもいいだろう。円の中心に複数の等しいベクトルが生じるとすると、それは、当然、相互のバランスをとって、等分割するように、分離すると考えられる。つまり、均衡原理である。
 だから、フィボナッチ数列を数列を均衡するベクトルを見るといいだろう。3ならば、3つの等しいベクトルが中心から発生して、3等分割するということになる。角度は、当然、360°÷3=120°で分割されるのである。
 だから、フィボナッチ数列ベクトルである。

フィボナッチ数列の数の意味:等分割数ではないか:2は2等分割、3は3等分割、5は5等分割、等々

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11818362360.html

参照3:
両界曼荼羅方程式:凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±jkl
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11901429589.html

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように述べたが、四元数(しげんすう)の虚数は、i, j, kの換わりに、j, k, lにすればいいだろう。
 だから、

両界曼荼羅方程式:凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±jkl

となる。

凹i*凸i⇒±1=±lmn:陰陽極性=虚数=時間は原点で実数=四元数的三次元空間を発現する (07/23)