いったい、「わたし」とは何なのだろうか。 PS陰陽論では、陽の極

いったい、「わたし」とは何なのだろうか。PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。


「わたし」、自我とは何か


テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


いったい、「わたし」とは何なのだろうか。
 PS陰陽論では、陽の極大化したものといちおう見ているが、どうして、極大陽、あるいは、超陽が自我になるのか、である。
 霊学のシュタイナーは最初から自我体というものを前提にしている。これはこれで、わかりやすい。
 では、自我の根源とは何かである。
 そう、「わたし」とは何か、である。
 動物に「わたし」はあるのか。なにか、前「わたし」、前自我のようなものは感じられるが、「わたし」、自我はないのではないだろうか。
 シュタイナーの自我の考え方は、二重の「悪魔」(悪鬼)に基盤がある。物質的な悪魔のアーリマンと独善的な悪魔のルシファーである。PS陰陽論では、超陽と超陰である。
 とまれ、陽的要素が極端化すると、それは一つの陽的自我になるというはわかりやすいだろう。つまり、集中化して、一点となるということである。それが、陽的自我(アーリマン)である。
 それに対して、陰的要素が極端した場合、一つの陰的自我になると考えられよう。それは集中して一点化すると言えるのかどうか。
 陰は一点化するのではなく、拡散するのではないだろうか。あるいは、拡大だと思う。宇宙的拡大があると思う。そう、陰極大化は宇宙化ではないだろうか。
 それが、陰的自我(ルシファー)となるのだろう。
 結局、二つの自我、陽我と陰我が、併存することになる。
 まぁ、これが、「わたし」、自我の問題は解明できた。
 そして、陽我と陰我の調和として、陰陽調和精神、氣精神があるというのが先の話であった。
 シュタイナーでは、キリストに相当するものである。PS陰陽論では植物的精神、太陽的精神である。
 今日、この陰陽調和精神、氣精神が復活しつつあるということである。これは、新東洋文明の時代ということである。
 ひとまず、ここで留める。


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Tue, January 28, 2014
倭国百済連合によるユダヤ天皇制日本国創建の神話としての『日本書紀』?


テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史


いちおう、読了したが、内容が細かく、再読三読すべきものである。
 中国ー新羅帝国主義」に対抗して、国史、『日本書紀』を作ったというようなことが書かれている。
 私の興味は父権と母権である。
 百済は母権包摂父権主義の国で、おそらく、ユダヤ民族を内包していたように思える。おそらく、母権、父権の多重民族のように思える。
 それが、日本の土着的母権民族を支配するようになるのであるが、唐ー新羅帝国主義による危機状況から、「万世一系」の父権天皇制の日本国が誕生したように思う。それを正当化する国史が『日本書紀』ではないかと思う。
 そして、この天皇制には、ユダヤ民族が入っていると思う。そう、百済民族はユダヤ民族を包摂していたのではないだろうか。とまれ、百済ユダヤ民族が中心主導的に父権天皇制の日本国を創設したと今は仮説する。
 先住的母権民族(縄文ー弥生民族)は征服されていったと思う。そして、父権的教義が浸透していったと思う。
 そう、古神道であるが、それは、先住的母権民族の宗教だったと思う。それを父権天皇制は取り込んで、(ユダヤ的)神社を建設していったと思う。
 そして、仏教であるが、それは、先住的母権文化と融合し、また、父権天皇制の神社と融合して、神仏習合文化が形成されたと思われる。これは、日本的母権ー父権融合文化の創造である。
 しかしながら、日本文化・社会において、緊張がなくなり、宗教的源泉が弱くなっていった。しかし、鎌倉時代において、宗教ルネサンスがあった。しかし、また、衰退していく。
 そして、江戸時代において、新父権主義の国学が誕生し、それが、明治以降の国家主義ナショナリズム)の源泉となったと考えられる。(今の安倍首相の発想の源泉はここにあると考えられる。)
 日本人の問題は、ベースの先住民的母権文化の衰退があることである。母権精神の衰退である。PS陰陽論で言えば、陰の衰退である。あるいは肚の衰退である。
 氣=精神生命力の衰退とも言える。
 しかし、今日、世界的氣のルネサンスが起っていると思う。現代日本もいよいよそれに覚醒しつつあるようにも見えるのである。
 新母権世界文化の創造へと向っているのである。


追記:重要なことを言うのを忘れていた。日本民族の母権精神は、先住民的母権精神(縄文ー弥生的母権精神)だけでなく、百済(ないし新羅)の母権精神もあるのである。父権的天皇制の基盤には、母権的天皇制が存するのであり、それは、強い母権的精神、超越的母権精神である。そう、霊的母権精神と言えよう。それは、先住民的母権精神よりも、進化しているように思われるのである。天皇制には、未来の母権精神、霊的母権精神、霊的東洋精神が存すると考えられる。


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Tue, January 28, 2014
植物的氣と動物的氣があるだろう:精神と性愛が融合した陰陽氣が発出する:性氣である


テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性


動物的性氣は、陽主導のように思える。それに対して、植物的性氣は陰陽調和のように思える。
 いわゆる、エロスは前者にある。植物的性氣は、精神(情愛、共感性、優しさ・愛)になると思う。
 人間の場合、動物的性氣と植物的性氣が混在・混融、ないし、未分化融合していると思われる。
 作家D.H.ロレンスは、この様態を、両者の揺れ動きながら表現したと考えられる。つまり、動物的性氣に傾斜したとき、あるいは、植物的性氣に傾斜したときの両極を描いていると考えられる。
 思うに、動物的性氣は視覚・触覚的であるが、植物的性氣は、不可視的な面が強いと思う。視覚を介して、不可視的氣の世界(氣界)へ通じると思う。



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