生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデア

生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイアイデア


テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)



生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイアイデア

作業仮説:太陰渦動が陽的生命物質世界の原動力

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11593691648.html


以上の説明では、陽と太陰の二元論に見える。陽がエネルギーで、太陰が情報の二元論である。

 太陰イデア論は、言わば、太陰一元論であるから、二元論に見えるのは不本意である。

簡単に説明すると、根源の太陰から陽が対極として形成されるが、主体は前者であり、後者は言わば、前者の派生物である。しかしながら、陽は相対的に独立しているのである。

 とまれ、わかりやすく言えば、陽/太陰である。分母に太陰があり、分子に陽が存すると見るのが適切である。実際のところは、陽(/太陰)であり、(/太陰)の根元領域が隠されているのである。言わば、オカルトである。

 そこで、気=陽=日光=生命=1を考えると、陽の気とは実は(/太陰)かもしれない。

しかし、そうすると、理論的に齟齬となる。何故なら、端的に、太陰=陽=気となってしまうからである。

 どうも、陽=日光が単純過ぎるようだ。陽・即非・日光が適切だと思う。

 陰陽球で考えると、球面が日光であり、裏面が陽である。そして、球面と裏面を表裏一体と見るのである。そう見ることで、陽・即非・日光となる。

 今日の唯物科学では、陰陽球の球面の日光しか見ず、裏面の陽の気を認知していないのである。

 どうも、視点が適切ではないようだ。日光はやはり、陽の気と見なくてならない。

 今日の自然科学が日光の物質的側面の電磁波しか見ていないと考えられる。気と電磁波はまったく別物と見なくてはならない。

 結局、陰陽球の表面は物質界、現象界である。

 しかるに、日光は、単に、物質現象界の事象ではなく、裏面の陽、陽の気でもあると考えるのである。

 そう、生命体の本体は裏面、陽、陽の気に存すると見るのである。

 ここで当初の問題に返るのである。

 私は、陽から太陰への螺旋的回帰が生命体の創造を意味すると述べてきた。

 ここで作業仮説であるが、太陰をデュナミス的イデアとし、陽をエネルゲイアイデアとするのである。(デュナミス、エネルゲイアともに、アリストテレス哲学の用語である。)

 そうすると、エネルギーと情報イデアの二元論は避けられる。つまり、陽をエネルゲイアイデアと見ることで、陽=日光=生命=1は、単にエネルギーだけでなく、情報イデアも内在具備していることなる。気は、生命エネルギー、且つ、生命情報イデアであるということである。

 これで、二元論を解消できた。