緑の聖霊:気とは太一の聖なるコスモス・エネルギー:植物的気認識に

緑の聖霊:気とは太一の聖なるコスモス・エネルギー:植物的気認識による陰身体と陽自我の和合的浄化


テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス


今日も森の小道の角で、切られた杉の幹に座して考えた。

 
 陰と陽の和合において、気が存する。陰と陽の両極・両面をもった第3の中間的存在であるが、しかし、一者である。(キリスト教三位一体で言えば、聖霊に相当する。)
 気は直観では、太一に一致・合致する。聖なる気である。太一気である。ここにおいて、陽の智と陰の身体が一体化するのである。
 気的陽智性であり、気的陰感性である。
 超越性はこの気を介するのである。
そう、この気において、即非が為されるのである。陽智性と陰感性は別々であり、且つ、一体化されるのである。
 そう、この気は、植物的である。樹木的である。それは、緑の血液のようなものである。
 動物的な陰の場合、例えば、動物的性欲のような場合、それは、聖なる気のバランスを破壊するのである。
 それは、「アポロ」の領域を破壊するのである。
 植物的気となって、陽のアポロと陰のディオニュソスが和合するのである。
 シュタイナー的に言えば、エーテル体が陽の自我と陰のアストラル体を和合させるのである。
 植物的であるエーテル体=気が陰のディオニュソスを陽のアポロと一体・秩序化させるのである。ディオニュソスのカオスがアポロ的自我と植物的な気と結び、秩序=コスモス化するのである。
 性愛は動物的から植物的へと転移するのである。
 そう、エーテル体的な精神があるのである。気的「愛」の精神があるのである。気的共振の精神があるのである。植物的「愛」の精神である。
 思うに、これがキリストの精神(精霊・聖霊)ではないのか。天照大神アフラ・マズダ、ミトラスではないか。
 気=エーテル体=太一の精神によって、陰と陽が和合する、コスモス化するということであり、植物的精神が平和な世界を構成するということと考えられる。
 とまれ、そうならば、陰陽世界とは何だろうか。
 太一精神が植物的気的精神ならば、陰と陽もその分化・分極化と考えられよう。
 太一気、太気があり、それが、陰陽分極化する。陰魂と陽霊に分極化する。
 陽霊が自我を、陰魂が感性・動物的身体を形成する。
 結局、当然ながら、緑の聖霊が、陽の自我を、陰の動物存在を形成するのである。始めに、緑ありき、となる。
 そう、緑の聖霊、緑のコスモスがあり、それが、自我と動物をも形成するのであるが、自我と動物は、いわば、緑の聖霊の鬼っ子となるのである。
 しかし、進化、宇宙進化は、陰陽宇宙を緑の宇宙・コスモスへと改新させると考えられる。
 シュタイナー的に言えば、陽自我のアーリマンと陰動物のルシファーの対立を調停するのは、緑の聖霊のキリストである。緑の太陽であるキリストである。
 植物的聖霊が二つの悪魔を調停して、陽自我と陰存在を気緑化するのである。