個的自由独立(自独)と太極的超越性:父権的超越性(同一性的超越性
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個とは何か:太極・MP・霊愛的陰陽均衡点に個が存する:個とは他者と自己の陰陽均衡である
テーマ:他者とは何か:Otherness
私はかつて、PS理論の段階では、個とは他者であると述べてきた。即ち、陰・凹iが他者であり、それが個であると直観し、そう述べたのである。
しかし、今や、ポスト・PS理論である、無双PS原理の視点から見ると、それが誤りであったと考えられるのである。
もっとも、PS理論と無双PS原理では、陰陽の捉え方が異なるのである。即ち、前者における陰・凹iは、後者における陽・凸iなのである。そう、両者では、陰陽の把握が正反対なのである。
だから、前者において、個とは他者であるという意味合いは、後者的視点では、違ってくるのである。
少し説明しよう。前者において、個とは他者であるというテーゼは、不連続化した様態における肚を他者とした上での主張であった。不連続化した肚(そのときは、陰であったが)が、他者であり、それが個であるということであった。それは非自我化された肚=他者=個ということであった。
これを、無双PS原理の視点から解明すると、PS理論における他者とは、陽・凸i・自己に相当するのである。連続化、ないしは、連続的同一性化された自己、即ち、自我ではない。
陽・凸i・自己を他者を呼ぶのは、まったく不合理である。無双PS原理(略して、PPPあるいは3P、トリプルP)では、他者は陰・凹iである。
結局、PS理論において、MPのもつ太極性=一元性を把握していなかったので、そのような不合理な考えになったと言える。
そのように考えると、新たに、個とは何であるのか的確に理解されるようになるのである。
即ち、太極=MP=霊愛的陰陽均衡点に立つ、陰・凹i・他者と陽・凸i・自己との均衡・バランスが個であるということである。言い換えると、個とは、他者と自己との陰陽均衡であるということになる。
これで個を定義できた。
参考:
党よりも、組織よりも大事な事がある。 「日本人」の研究! H.24/07/09
■日本人の研究
京野公子衆議院議員の決意!
「党よりも、組織よりも大事な事がある。それは、自分が体を張って受け止めた生活者の声である」
『文殊菩薩(ブログ版)』
< 無双PS原理「逆」ガウス平面>
陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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−1_____太極・MP・母権______+1
無機物 | 有機体・生命体
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陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式:父権