再考:日本民族における母権と父権の極性:父権的傾斜と母権的均衡

再考:日本民族における母権と父権の極性:父権的傾斜と母権的均衡


テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本


私は既述のように、日本民族は、ベースは母権的民族で、それに父権的民族が進入して、両者が混淆して、形成されたと考えている。母権的民族は、沖縄・アイヌに残ると考えられる縄文的民族と、中国から移動した弥生的民族と、ツングース系民族、他である。父権的民族は、いまだよくわからないが、中国からやってきた民族ないしは失われたイスラエルの十支族やその他である。
 母権的民族と父権的民族の混淆で著しい例は、古代ギリシアである。それは、ギリシア神話に見事に表現されている。
 そして、日本民族の混淆はやや性質は違うものの、ある意味で類似していると考えている。
 問題点は、混淆の性質である。思うに、三種類のパターンが考えられる。即ち、


1)母権的傾斜型
2)父権的傾斜型
3)母権・父権的均衡型


の三つの型である。
 日本民族文化を考えたとき、この三つの様態があるように思われる。
 とまれ、確認すべきは、母権極と父権極があり、この極性の陰陽的様態において、日本民族文化を見る視点である。
 言い換えると、初めは、母権的民族が存在し、その後、父権的民族が到来して、後者が支配的になったが、時代が経つにつれて、両者が混じり合い、母権/父権的極性的民族・文化が形成されたと考えられる(仮説)。
 私がアニミズムと機械・物質文明の連続性について述べたが、そのとき、自我は弱いと述べた。その意味はこの極性的様態から考えるべきである。つまり、ストレートな父権主義ではなく、母権的極性をもっている父権主義なので、自我が、純粋父権主義の自我から見ると、「弱い」ものとなるのである。しかしながら、「弱い」とは言え、父権極的自我は存在するのである。
 とまれ、アニミズムと機械・物質文明の連続化は、ベースにある母権極にアニミズムがあり、それが、「弱い」父権的自我を介して、機械・物質文明と繋がったと考えられるのである。
 ここで、明治維新以降の「近代化」を考えると、そのような精神様態をもつ日本人であるから、近代合理主義は、欧米のものとは当然、異なるものとならざるをえない。
 つまり、西洋における近代合理主義は近代的自我(デカルトのコギト)と結びついたものであるが、日本の場合、近代的自我は、独立したものではなく、ベースの母権極のために、半近代的自我にならざるを得なかったと考えられる。
 そう、母権極の非合理性(アニミズム等)があるために、近代合理主義は、形式的なものとなり、非合理性によって歪曲されたものとなったと考えられるのである。
 明治維新以降の日本支配層は、私説では、父権主義であるが、今述べたように、非合理性をもつので、欧米の合理主義文明が非合理性によって染められたものとなったと見ても、間違いではないだろう。
 導入された「近代合理主義」、機械・物質文明は非合理性によってねじ曲げられて、無分別に、盲目・狂信的に戦争の道へ進み、「太平洋戦争」の大惨禍を引き起こしたと考えられる。
 また、戦後であるが、この非合理性をもつ父権主義は当然、清算されずに存続したのであり、それは、米国をいわば宗主国とする植民地・属国的日本をもたらしたと考えられる。
 また、敷延すれば、原発の林立も結局は、この非合理性をもつ父権主義のしからしめるものと言えよう。
 これも持論であるが、明治維新は母権的勢力を父権的勢力が制圧して生まれたものである。坂本龍馬西郷隆盛らの母権的勢力が弾圧され、力を失ったのである。
 近世・近代の母権的勢力であるが、上述から見ると、非合理性をもつのではないかと言われるであろう。確かに、非合理性をもつが、実は、その非合理性に徹しているので、非合理性の「理性」をもつ文化をもっているのである。それが、東洋・日本的身体文化、肚の文化である。つまり、近世・近代の母権的勢力は、伝統的な東洋・日本文化を体現していた勢力であり、新たな西洋の知見をもった文明的勢力であったと考えられるのである。
 だから、母権的勢力とは実は、母権極/父権極の均衡性をもった勢力でもあったと言えるのである。そして、そこにこそ、正統な日本の未来があったと言えるのであるが、残念ながら、父権的勢力が支配して、非合理衝動である過信・盲信・狂信、慢心・傲慢、狂気・妄想、攻撃衝動のために、自暴自棄の自滅の道を辿ったのである。
 その今日的帰結が、福島第一原発の爆発による放射能汚染地獄であり、日本の経済を破滅させようとする民死倒の政権である。
 日本父権主義は、自己の基底の非合理性を確認できないために、不合理極まりない、悪魔的に利己主義的な方策・行動・態度をとってしまうのである。
 この日本父権主義の型は国民にも蔓延しているのであり、日本民族国家のいまや衰亡の瀬戸際にあると言えるのである。
 とまれ、以上から私が新母権主義を提唱する理由がいくらかはお分かりになれたのではないだろうか。
 最後に何故、母権主義に個があり、父権主義は没個であるのかを説明したい。
 つまり、母権主義は肚=魂を基底にするために、自我との意識的極性が形成されるために、他者と自我の均衡という個が形成されることになるのであるが、父権主義は肚=魂が無意識であり、賦活されないので、その無意識の衝動に支配されてしまい、自我は独立せずに、なんらかの力に支配されるのである。故に、没個なのである。


追記:上記の三種類の型であるが、結局、1の母権的傾斜型と3の母権・父権的均衡型は極性論理のために、一致することになるのである。


追記2:日本父権主義の非合理性が元凶のように述べたが、それは不正確である。非合理性と同時に、父権主義のもつ同一性・自我主義(利己主義)も極度の不合理性を引き起こす重要なファクターである。もっとも、同一性・自我主義は、本来、純粋悟性に関わり、合理主義精神に関係するのであるが、日本父権主義の場合は、その封建的権威意識が強力なために、同一性・自我主義に関係する合理主義精神の形成がはななだ未成熟であると言えよう。
 それに対して、西洋の場合、イタリア・ルネサンス宗教改革プロテスタンティズム)等によって個の覚醒があるために、父権主義の同一性・自我主義は、封建的権威主義を脱した為に、合理主義精神に繋がったと考えられるのである。


追記3:非合理性として、アニミズムをあげたが、当然、シャーマニズムも入れていいのである、そう、というより、入れるべきである。


**********************


魂と自我の結婚:魂の闇と自我の光:闇と光の螺旋結合


テーマ:二つの日本:父権的日本と


以下の先に書いた叙述と参照の叙述は齟齬を来しているので、整合性のある説明が必要である。後で、考察を行いたい。





母権主義と父権主義:魂の意識と自我の意識


テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

私が説く母権主義と父権主義は女性主義と男性主義ではない。母権主義は、男性においてもあるし、父権主義は女性においてもあるのである。
 母権主義と父権主義は人間の根本的な質的差異を意味する。前者は魂を基底にしているし、後者は自我を基底にしているのである。
 日本人は母権主義と父権主義の混淆であると考えているが、明治維新以降、後者が支配的になり、前者が抑圧されたと考えられるのである。
 とりわけ、戦後の米国による一種の植民地的支配によって、日本の母権主義は否定されて、日本民族は衰滅の危機にあるのである。
 そう、母権主義とは、個に基づくのである。もっとも、正確に言えば、自我の基礎にある魂に基づく個である。
 父権的集団主義に染まって、母権的個を埋没させているのが、現代日本人である。


参照:


アニミズムと機械・物質文明
テーマ:PS理論:プラトニック・シナジー理論
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明4:両者が日本人の精神において結合しているとすると、問題は厄介であるが、PS理論によってこの問題を解明している。即ち内面の魂と近代科学・技術の切断。両者が不連続であることを日本人は認識する必要がある。 両者の無意識の連続体が日本人を束縛している。擱筆
9分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明3:無意識の受動的魂と近代科学・技術が、日本人の精神において、結びついたというのは確かに考えられることである。故に、「浜岡原発反対氏」(仮称)が指摘したことは正鵠を射ていると言える。
15分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明2:日本人の場合、デカルト的自我は希薄である。端的に言えば、自我は弱い。おそらく、内面の魂の側面が作用しているのであるが、無意識である。おそらく、この魂の受動性が、近代科学(物質科学・技術)と結んだのではないのか。続く。
18分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明1:先に、両者通じるというコメントを戴いたので、答えたい。 アニミズムは魂の感覚に拠る。機械・物質文明は、当然、近代合理主義を前提にする。本来、デカルトの自我=存在があるが、日本の場合、それが欠落する。続く。


»
resurrection
neomanichaeist resurrection

狂気の複合権力。日本民族は母権民族と父権民族の混合。古代は前者がベースで後者と結合したが、江戸時代で衰退し、新父権と新母権が生成した。明治維新は後者に拠るが前者が権力を簒奪し、父権封建的中央集権国家を確立するが、優越妄想独善狂信のために戦争で破滅、そして、今日、福島原発事故で、

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10875456067.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11271794452.html