連続性とガウス平面複素数精神様態マップ

連続性とガウス平面複素数精神様態マップ


テーマ:media point


先の考察は、以下の生成門氏のかなり難解な、例えば、以下、赤文字と下線で強調した箇所、即ち「第1象限のG(0.7,0.7)の左側、つまり、述語優位の認識」という考え方について述べなかったので、連続性の問題の視点から、一言述べたい。
 先に、連続性とは凸iによる凹iの支配、凸i自体の同一性による凹iの支配であると述べた。(仮説:連続性とは凸iの凹i支配のことである http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11168826166.html
 連続性力学(凸iによる凹iの支配力学)の視点から見ると、第一象限とは、基本的には連続性(連続的同一性)の領域に思える。
 ただし、a+biの複素数精神様態をどう見るのか、問題である。そう、私見では、a±biの方が実際的に思える。
そして、aがゼロのときに、±bi、即ち、凸i、凹iが生起する。つまり、不連続化が起こるような感じがする。
 では、aがゼロでないときは、どうなのだろうか。そのときは、純粋な凸iと凹iは生起していないのではないだろうか。
 そうならば、やはり、連続性のままであるように思えるのである。
 ただし、一端、不連続化が生起したとき、不連続態を保持したまま、a±biの様態はあり得ると思う。
 暫定的であるが、今の段階では、私見では、第一象限は、連続性(連続的同一性)の領域に思えるのである。だから、果たして、そこに述語優位の領域があるのか疑問である。(連続性とは先述したように、凸iに拠る凹i支配力学であり、凸iの支配とは、端的に、主語優位になると考えられる。)
 最後に第四象限について簡単に触れよう。それは、一種の連続性の領域、ないし逆連続性の領域に思える。
 強度の凸iの支配があるとき、原始差異共振性は衰滅し、反動的な凹iが生起する。それは、当然、同一性=物質と結びつき、物質欲となるのである。凹i+1の世界である。
 補足的に、原始差異共振について一言述べておこう。先に、それは、新しい差異共振によって乗り越えられると述べたが、それはそれで正しいが、内的メカニズムを捉えていないと思う。
 原始差異共振は凹i主導の差異共振であり、凸iは覚醒化していないのである。しかしながら、凸iの支配力学にあって、深層的に、原始差異共振のもつエネルギーは凹i中心に蠢いていると考えられる。
 凸i支配下にあって、原始差異共振エネルギーを不連続化すること、それが、新しい差異共振の創造を意味すると考えられるのである。
 
資料:

第4象限はウィルスが活躍するグラウンド (0)

モナドの視点とはなんでしょうか?

「おーい」と呼ぶと「おーい」と帰ってくるのが「こだま」です。そのときどう感じますか?

大人なら知識がありますから、それは音の反射ださ!などと物知り顔で言うことになりますが、子供はそうではありません。そこには何か不思議な力が働いているように感じるでしょう。

「響く」感じです。

これがイデアなのです。イデアと言えば犬のイデアとか、リンゴのイデアということになるのが普通ですが、そういうイデアは自己同一イデアであり、自我形成の源泉です。

しかし、ここでは動詞のイデアを考えます。これを述語イデアと呼ぶことにします。子供が感じた不思議な力とは述語イデアだったのです。

これを大人は「山彦」という形に主語化したのです。「山彦」の中に、[響く]を閉じ込めたのです。「山彦」には光は見えません。[響く]には光が見えます。

「山彦」は闇であり、[響く]は光なのです。

述語と主語の認識

ここで、疑問が出てきたと思います。

第1象限は光の認識であって、山彦が闇なら、第4象限になるのではないかと言うことです。ところが、第1象限は述語優位(響く)から主語優位(山彦)に移っていきますから、第1象限に闇が入ってきてしまいます。これはおかしなことです。

そうです。これが認識の段階が螺旋的だという意味の難しいところです。

子供に大人の認識が入って来るので混同しているのです。

子供はまだ闇を知りません。ですから「響く」だけです。つまり、第1象限のG(0.7,0.7)の左側、つまり、述語優位の認識であって、そこから勝手には右にはいかないのです。

大人はG(0.7,0.7)右、つまり、主語優先の位置に行きます。それは何故でしょうか?

大人は知識を持っています。知識というのは、「帰ってきた、おーい」は「山彦である」という知識です。

しかし、知識は「物」ではありませんから目では見えません。つまり、知識は闇の認識なのです。言い換えると、闇とは他者の知識(認識)なのです。知識とは誰かの先祖とか、科学者、お婆さんの知恵なのです。それが言い伝えられてきた文化伝統の類です。

ですから、その他者の知が私という自己の中に侵入して来なければ、闇は生まれないのです。

子供がこの知識を始めて知ったとしましょう。その瞬間、子供が大人になったときであり、闇が生まれたときなのです。つまり、他者が私に中に入ってきたのです。他者とは、私の中に無断では入って来るのですから、ウィルスのようなものなのです。

このとき子供に凹i(他者)が生成され、第4象限のG(0.7,0.7)から右側の認識が生まれるのです。第4象限の凹iからG(0.7,0.7)を経由して、−1に向かうのが自分で理解したときです。

親から教えてもらうようなケースでは、途中からG(0.7,0.7)が発生するのです。

第4象限のウィルスのように侵入した他者の知による闇の認識:G(0.7,0.7)と、既に発生している第1象限のG(0.7,0.7)との間に共役が生まれます。こうして、第1象限の認識がG(0.7,0.7)から右に移動して+1に向かうのです。これはまるでウィルスによる乗っ取りです。

つまり、第4象限から第1象限へ反転するのです。しかし、ただ、同じGPを渡ることはありません。GPは螺旋的に回転しているのですから、GP1(述語優位)→GP2(主語優位)という渡りになるでしょう。

GP2(主語優位)とは二枚目のGPであり、しかもその半分が主語優位となって出てきたのですから、他者(ウィルス)によって乗っ取られたようなものです。

一枚目GPS(a,-b):a>0,7.b<0 .7→二枚面のGP(a,b):a>0.7,b<0.7

これが自我の発生という瞬間の実況中継です。

http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100108516663

シムダンス「四次元能」