検討問題:光子に質量がないことをどう説明するのか

検討問題:光子に質量がないことをどう説明するのか


テーマ:media point


直観では、光子は凸i*凹i⇒凸(+1)の⇒である。つまり、物質までに転化していないエネルギーである。だから、正確には光子は物質ではない。あえて言えば、精神(霊)spiritである。
 PS理論から言えば、凸iと凹iとの差異共振様態であり、粒子としては⇒の先端であり、波動としては⇒の起点と考えられる。
 物質が生じるには、作業仮説的に言うと、凸iの傾斜が必要なのではないだろうか。それは原同一性であり、それが優位であると、⇒の帰結として、同一性体、即ち、物質が形成されるのではないだろうか。
 そうみると、光子は凸iの傾斜がなく、調和的に差異共振していると考えられよう。
 さらに、もし物質形成には凸iの傾斜が必要ならば、そのバランスをとるために、凹iの傾斜がどこかに必要になるだろう。
 端的に、凹iの傾斜は何を形成するのか。これは難問だ。反物質だろうか、反粒子だろうか。それとも、気だろうか。とりあえず、反物質としておくか、保留とする。
 均衡ある差異共振としての光子を考えると、それは、(i/-i)*(-i/i)⇒凸(+1)となるのではないだろうか。
 i/-iが陰⇒陽、-i/iが陽⇒陰である。そう、これは、また、


(i/-i)⇒(-i/i)⇒(i/-i)⇒(-i/i)⇒・・・⇒凹(−1)


ではないだろうか。
 つまり、超越的双極子がmedia pointで作用しているのであり、それが、光子であるということになる。つまり、光子は「光」と「闇」の即非差異共振エネルギーということになる。光子は二重「光」なのである。
 光子において、「闇」が見えないのは、⇒の先端において、「光」が発するのであり、そのために、「闇」が隠れているのではないのか。
 仮に言えば、「闇」⇒「光」ではないのか。
 しかし、これは不正確である。上述の考えに拠れば、media pointにおいて、闇と光の表裏があるのであり、現象としては光が発現するが、超越現象としては闇の「共振」があるのではないだろうか。
 言い換えると、光と闇が表裏一体であり、現象としてのは光しか見えないのである。闇はこの場合、ダーク・マターに通じる。あえて言えば、光子は同時に闇子ではないのか。それが、D. H. ロレンスの言うdark sunではないのか。
 以上は思考実験であり、今はここで留める。


光子
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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光子(こうし、フォトン、photon)は、光 を粒子 として扱う場合の呼び名である。

電磁相互作用 を媒介するゲージ粒子 であり、素粒子物理学 においては記号 γ(ガンマ線 に由来する)、光化学 においては記号 hν(後述する光子の持つエネルギー を表す式から来ている)で表されることが多い。

アルベルト・アインシュタイン がマックス・プランク の黒体放射 の量子仮説 を基にして、電磁波 の粒子的な側面を説明するために導入した光の量子 である。アインシュタイン自身は光量子 (light quantum) の名前で提唱していた。

光子1個の持つエネルギー Eは、プランク定数 h、振動数 ν、光速度 c、波長 λ を用いて

E = h\nu = h\frac{c}{\lambda}

で表される。光電効果 は物質 中の電子 が、光子1個を吸収し、そのエネルギーを自身の運動エネルギー として物質から飛び出す(もしくは半導体 等において、価電子帯 の電子が伝導帯 へ励起される)現象として説明される。

また、光子はその進行方向に大きさ

p = \frac{h\nu}{c} = \frac{h}{\lambda}

の運動量 を持つ。コンプトン効果 はこの運動量を持つ光子と電子の弾性散乱として説明される。

光子は質量 や電荷 が0であり、安定な素粒子 である(崩壊寿命がない)。光子の反粒子 は光子自身となる。また光子はスピン 1を持つボース粒子 である。角運動量保存則 のため、光子の吸収、あるいは放出の前後には系の角運動量がこのスピン角運動量の分だけ変化しなくてはならない。このことが、電磁波の吸収における状態遷移が起こりうるか否かを決定する選択律の原因となる。

電磁波の吸収が起こる過程においては通常は1個の光子のみが吸収されるが、レーザー のように光子密度の大きな電磁波を用いると、複数の光子が吸収されることもある。このような過程は、多光子過程と呼ばれる。
関連項目 [編集 ]

* 光
* 素粒子物理学
* 光通信
* 光学
* 分光学
* アルベルト・アインシュタイン