検討問題:光自己認識方程式と生命体:光と闇への螺旋的回帰:光・父

検討問題:光自己認識方程式と生命体:光と闇への螺旋的回帰:光・父と闇・母の対称的一致


テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)


Kaisetsu氏は以下のように定式化した。


凸光の自己認識方程式
凸(+1)⇒i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1


私が、今日ふと思ったのは、植物の種子形成はi/1ではないかということである。生成門氏はi/1を子⇒母と説明した。そして、1/iが母⇒子である。
 植物の生長は初期、前期は1/iが主導的であり、蕾をつけ、花を開き、結実する後期の過程は、i/1が主導的ではないかと思うのである。つまり、生長前期は母⇒子の過程が主導・優位的であり、生長後期は子⇒母の過程が主導・優位的になるということである。

言い換えると、種子とは次世代を生む物質体であり、それは、根源への回帰と考えられるので、上記のように考えたのである。すなわち、前期プロセスが精神⇒物質であり、後期プロセスは物質⇒精神ということである。

この二重螺旋の様態を植物ないし生命体の螺旋的回帰と呼んでもいいだろう。母への回帰、あるいは、精神(霊)的回帰である。つまり、種子の中に遺伝子として、精神(霊)的情報が形成されるということである。(思うに、獲得遺伝というはある。個体は「経験」をmedia pointに「スキャン」していると思われるのである。この点は既述した。遺伝子情報とはi*(−i)のmedia point recordではないだろうか。)

さて、そのように考えると、問題は、螺旋的回帰、精神(霊)的回帰とは、精神としての光へと回帰であることをどう考えるのかということである。

当然ながら、この場合、回帰は母への回帰であるが、iへの回帰は母ではなく、父である。この齟齬をどう解消するのか。

ここで単純素朴な事実に即して、考えてみよう。結実した実・果実は、そのままにしておけが、当然ながら、地上へと落下・降下するのである。それは、←の方向、重力の方向である。

つまり、⇒が天への方向ならば、←は地への方向であり、それは、凹(−1)を志向しているのではないだろうか。あるいは、media pointである。

直観で言うと、光の自己認識方程式は、闇の自己認識方程式を示唆しているのである。精神としての光は父であるが、螺旋的回帰は母への回帰であり、それは−iを示唆するのである。

思考実験ないし作業仮説であるが、i/1は−i/iを示唆しているのである。そして、

−i/i⇒i/(−i)⇒凹(−1)

となる。

 とまれ、単純に考えれば、精神としての光i(陽:光と陽を今は同一視している。後で再考したい)は、当然、陰陽体から母としての闇−iを対極的に帯びているのである。

だから、光の自己認識方程式とは実質的に闇の自己認識方程式を内包していると言えるのではないだろうか。先に、その点について言及したのであるが。(参照:http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11002414895.html

言い換えると、光は同時に闇を形成しているのである。光と闇は一体であるということである。思うに、一種の「鏡の国」がそこにはあると考えられる。否、「不思議の国」かもしれない。

問題は上下(天地)反転と左右反転の問題に関係してくると考えられる。⇒凸を天の方向とすれば、←は地の方向であるから、それは、上下(天地)反転となる。しかしながら、PS理論が薄平面では、左右反転となるのである。

また、上記で、iを光と呼んだことも関係している。すなわち、iを天=父、−iを地=母と上記では直観されているのであるから、結局、天地は実軸なのか、虚軸なのか、それとも両方なのか。それとも、両方以外なのか。

どうも発想の転換が必要のようである。ここでも思考実験であるが、iへの回帰とは、反時計回りπ/4回転ではないだろうか。そうならば、天は⇒の実軸から虚軸へと変換すると考えられるのである。そして、また、同時に、−iも喚起されているから、時計回りπ/4回転も生起していると推察できるのである。

そうならば、結局、天地は垂直に捩れるのである。そう、垂直の捩れが端的に、天の方向ではないだろうか。同時に、地もそうである。

そう見ると、これまで、iを陽とし、凸(+1)を光と峻別したが、iが光に生成することはまったく問題がないことになる。すなわち、陽⇒光⇒陽であり、陰⇒闇⇒陰である。端的に、

i⇒凸⇒i

−i⇒凹⇒−i

である。

 今はここで留めておく。