試論:陰陽調和と陰陽差異(不均衡)の関係について

先に、人間とそれ以外の自然物との構成の違いについて簡単な仮説をたてた。【シュタイナーの精神学とPS理論:人間と自然:陰陽差異と陰陽調和 http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1701.html】自然の場合は、陰陽調和があり、人間においては陰陽差異、つまり、陰陽不均衡があるというものである。
しかし、人間の場合は当然、自然の要素と人間の要素が組み合わさっているのであり、その力学を解明する必要がある。言い換えると、陰陽調和と陰陽差異をどう重ねるのかということである。
有機体としての人体は陰陽調和で説明できると見ていいだろう。端的に言えば、動物の身体があるのである。では、動物の陰陽調和体と精神・認識の陰陽不均衡体はどう組み合わされるのか。
作業仮説は、動物的陰陽調和体が突然変異で、陰陽差異化したということである。つまり、陰陽調和体と陰陽不均衡体が重なったというのではなく、前者が後者へと突然変異したと見るのである。しかしながら、その突然変異は前者を基盤として残すようにして、生起したと見るのである。即ち、動物的陰陽調和体が基盤となり、その上に陰陽不均衡体(陰陽差異体)が形成されたということである。
では、前者と後者の関係はどうなるのだろうか。それは、即非関係ではないだろうか。動物的陰陽調和体であり、且つ、同時に、陰陽差異体であるという絶対的矛盾があると考えられる。わかりやすく作業仮説を立てるなら、陰陽調和体の遺伝子に陰陽差異体の遺伝子が付加されたと言えるのではないだろうか。
感覚的に言えば、「厚み」が生じたということになるのではないだろうか。あるいは、立体的になったと。直観では、なんらかの捩れが生じたと思えるのである。即ち、陰陽調和体が捩れて、陰陽差異体(陰陽不均衡体)を上部に形成したというイメージが浮かぶのである。
それはなんらかの固定化と言えるかもしれない。以前、陽の極大化(「太陽」)と陰の極大化(太陰)の状態が固定化したという仮説を述べたことがあるが、このイメージと捩れのイメージを重ねてもいいかもしれない。
そう、簡単に言うならば、陽の極大化と陰の極大化が、なんらかの突然変異で、固定化して、それが陰陽差異の遺伝子となったとことになろう。
とまれ、人間の場合、とりわけ、男性の場合は、陽の極大化の固定化の陰陽不均衡化を考えることができる。
ならば、陰の極大化とは何を意味するのだろうか。直観で言うと、それは、イエス・キリストの様態ではないだろうか。他者のまったき肯定である。私の考える、新母権主義に通じるかもしれない。また、それは人間認識図では、第三象限へと通じる様態と考えられる。人間、とりわけ、男性の陽の極大化の陰陽不均衡(差異)様態に対して、それは、陰陽調和・均衡へと向かう力学を形成すると考えられるのである。差異共振への転換である。そこにこそ、不可視の光があるのである。
さて、以上、本件の問題についての暫定的な解明を行ったことになる。