連続性と脱連続性:差異極性力学:差異求心力と差異遠心力の均衡法則

連続性と脱連続性:差異極性力学:差異求心力と差異遠心力の均衡法則:日本復活へ向けて


テーマ:Media Point:MP1⇔MP2


これまで、本件について何度も試行錯誤を行なってきたが、今、簡単に整理しておきたい。
 人間の意識であるが、日常世界は物質的世界を前提として動いている。信号を無視して横断すれば、車に引かれるのである。この日常意識は物質的意識である。それは、物質的同一性的意識(同一性自己意識)である。
 この意識とは、凸iという根源の認知主体が同一性(物質)に一体化していることから生じていると思われる。
 しかし、凸iの根源的認知主体が同一性と結合している様態を的確にできないのである。これまでは、凸i=凹i=+1という錯誤論理で表記してきた。つまり、凸i*凹i⇒+1とは、同一性自己意識においては、凸i=凹i=+1(同一性・物質)となると考えられるのである。
 対差異である凸iと凹iとが共振融合して、同一性+1に転換すると考えられる。共振融合とは、連続的同一性化ということである。このとき、凸iは凹iと一体化しているのである。それが、同一性の意味である。
 本来、絶対的差異である凸iが対となる絶対的差異(絶対的他者)凹iと一体化しているという錯誤論理がここにあるのである。(なお、一体化は、一如化とはまったく別である。また、現象をマーヤー【幻影】と呼ぶのは正しい。)
 この凸i=凹i=+1(同一性方程式と呼ぶことにする)の日常的同一性自己様態において、凸iに傾斜するために、凹iは抑圧・排除される傾向が強いと言えよう。
 しかしながら、根源、いわば、無意識ないし非意識のMedia Pointにおいては、凸iと凹iとは共立している。だから、意識と無意識の葛藤・闘争が隠されているのである。
 同一性自己(自我)において、自己認知主体凸iは、他者凹iを否定するということであるが、それはどういう力学だろうか。
 同一性方程式において、凸iは凹iを否定して、抑圧・排除・隠蔽すると考えられる。つまり、同一性方程式は、凸i=−凹i=+1となるだろう。この−凹iが他者否定を意味しよう。
 しかしながら、もともと、同一性方程式とは誤謬であり、矛盾なのである。差異が同一性化されているからである。
 だから、他者否定とは、正しくは、同一性化された他者の否定である。同一性化された差異は、Identified Difference(以下、IDD) また、同一性化された他者はIdenitified Other(以下、IDO)である。だから、同一性方程式は、IDD=-IDO=+1となる。だから、他者の否定とは、単純な凹iの否定ではないのである。
 この同一性による他者の否定とは、同時に、差異認知主体凸iの否定でもある。つまり、端的に、差異の否定である。
 だから、問題となる抑圧とは、差異の抑圧なのであり、単に他者の抑圧ではないのである。結局、差異共立の抑圧であると考えられる。
 さて、ここで、本題に入ると、連続性は同一性エネルギーであり、脱連続性は脱同一性エネルギーであり、両者は正反対である。これは、形成エネルギーと解体エネルギーとの対としても見えることができよう。生のエネルギーと死のエネルギーとも言えよう。
 問題は後者のエネルギーの力学をどう捉えるのかである。ここでも、作業仮説ないし思考実験であるが、先に、引力と斥力のサイクルを述べたが、ここでは、求心力と遠心力の均衡法則を提起したい。
 つまり、対差異の求心力によって、共振融合が起こり、連続性=同一性エネルギーが生起する。そして、対差異の遠心力によって、脱共振融合作用が起こり、脱連続性=脱同一性エネルギーが発生するのではないだろうか。後者は差異共立エネルギーとも言えるだろう。前者がMP1⇒MP2であるのに対して、後者は MP2⇒MP1である。
 これは、時代形成力学に当てはめると、初期近代は前者が主導し、後期近代は後者が主導的になると考えられるが、前者と後者とはまったく異質なので、前者が支配的形式になったので、後期近代において、後者は前者の支配下に置かれて、認知されずに、不合理な衝動となると考えられるのである。それは、多様な暴力、精神病理として、発現していると考えられる。だから、後期近代とは、いわば、善と悪との闘争の時代になると考えられるのである。ゾロアスター教的時代である。
 あるいは、物質的次元世界観と高次元的世界観の闘争の時代である。三次元的人間と四次元的人間の闘争の時代である。近代的人間とトランス・モダン的人間との闘争の時代である。
 ここで、破滅的危機にある日本について考えると、究極的問題は、戦前と戦後との断層にあると考えられる。端的に言えば、超越的精神と物質的精神の断層である。
 後者によって、戦後日本は物質的に栄えたが、前者を排除しているので、精神的には窮乏したのである。
 今日、日本人は超越的精神を復興させる必然性があるが、それへの糸口が一般には知られていないことが大問題である。宗教的精神に目覚めるのも大事ではあるが、宗教的精神と物質的精神を調和させるのは至難の業である。
 だから、ここで、イデア論的哲学科学が至上に重要になるのである。これによって、超越的精神(高次元的精神)と物質的精神(現象的精神)との均衡調和が形成されるのである。
 それは、20世紀初期において、少数の天才たちによって先鞭がつけられたといえよう。
 しかしながら、不運にも、マイナーな存在として、今日、一般には、忘却されている。また、理解のための端緒がないと言えよう。
 その点から見ると、PS理論は至ってシンプルであり、明快である。それは、超越的精神(イデア)と物質的精神の哲学科学的関係を解明しているのであり、今日の窮境を乗り越えるための知的武器になると考えられる。


People, learn PS theory and apply it to your work or field, so you will be able to conquer the most tremendous crisis Japan has ever faced or fallen into.