新PS理論:PS理論と不連続的差異論の統一:差異共振・即非(MP2様態

新PS理論:PS理論と不連続的差異論の統一:差異共振・即非(MP2様態)と差異共立(MP1様態)


テーマ:新PS理論:不連続的差異論とPS理論


以下、PS理論を『嵐が丘』の主人公の意識に適用したものであるが、確かに、PS理論は明快に解明できるのである。
 先の試論(エッセイ)に拠れば、差異共振とは、MP2(虚軸のMedia Point、ゼロ点)を中心とする差異転換の様態を表わしているのであり、差異共立はMP1(実軸のMedia Point、ゼロ点)を中心とする差異並立の様態を表わしているということである。そして、即非とは差異共振を意味していると述べた。
 しかしながら、差異共振=即非において、差異とは当然、不連続的差異=絶対的差異であるから、A(不連続的差異=絶対的差異)=非A(不連続的差異=絶対的差異、正確には、他者である)となるのは、矛盾である。
 そうすると、やはり、差異共振=即非においては、不連続的差異=絶対的差異が対象となるのではなく、連続的差異、相対的差異が対象となっていることになるだろう。
 結局のところ、不連続的差異論において、差異共立が解明されたが、それは、MP1における不連続的差異=絶対的差異の様態の解明であったと言えよう。
 そして、PS理論では、差異共振=即非、即ち、MP2における連続的差異=相対的差異の様態(陰陽性)が解明されたと言えよう。
 そうすると、両者を統合する理論が必要となるのである。思うに、統一理論を新PS理論とすれば、明快である。つまり、不連続的差異論と(旧)PS理論の統一理論としての新PS理論である。
 ただし、MP1からMP2への質的転換を明確にしないといけないのである。つまり、不連続性から連続性への質的転換が生起していることを確認しないといけない。言い換えると、共立から共振への質的転換である。


追記:新PS理論によってこそ、D. H. ロレンスやルネ・マグリット、他の真に先駆者の作品が解明、理解されるだろうし、また、当然、自然の解明がこれまで以上に明晰になる。
 簡単に言えば、自然とは、不連続的差異=絶対的差異の共立が、連続的差異=相対的差異へと質的転換し、連続的差異共振化して、同一性=物質として産出されるものと言える。
 また、マイナス1と不連続的差異=絶対的差異共立との関係については、後で再考したい。 
 結局のところ、不連続的差異論はトランス・モダン的であるが、PS理論はポスト・モダン的であったのである。ただし、PS理論において、差異がガウス平面化されたのは、画期的であったと言えよう。
 ところで、新PS理論における自己認識方程式であるが、それは、


凸i#凹i⇒凸i*凹i⇒+1


でいいだろう(ただし、#は共立、*は共振の記号である)。しかしながら、*に共立、⇒に共振の意味をもたせるなら、従来通りに、


凸i*凹i⇒+1


で済む。

 
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嵐が丘』:キャサリンの「私はヒースクリフ」の自己認識方程式



キャサリン(初代)の「私はヒースクリフ」という言葉は哲学的には何を意味しているのか。
 これは「わたし」は「他者」と一体であるということとは異なるのである。何故なら、そこには、「わたし」という主観性がまだ強く残っているからである。
 しかしながら、キャシーの言葉は主観性ないし主体性はヒースクリフに存するからである。つまり、「他者」に重心があるのである。
 これは、ドゥルーズガタリの生成変化説から言えば、キャシーがヒースクリフに生成変化したということになる。意識の上であるが。
 しかしながら、自己認識方程式、即ち、


凸i(原自己)*凹i(原他者)⇒+1(自 己同一性:自我)


の視点から見ると、それは、原他者に傾斜した様態であり、それが、+1(自己同一性:自我)と一致していることになるだろう。即ち、凹i(原他者)=+1(自己同一性:自我)である。「わたしはヒースクリフ」の言葉に当てはめると、「+1(自己同一性:自我)は凹i(原他者)」となろう。
 しかしながら、正確に言うと、 根本方程式は、


凸i(原自己)*凹i(原他者)⇒+1(同 一性)【自己同一性であり、他者同一性である:あるいは、物質である】


である。
 つまり、同一性が帰結するのであり、そこに、本件の場合は、ヒースクリフが入るのである。
 言い換えると、


凸i(原キャシー)*凹i(原ヒースクリフ)⇒+1(ヒースクリフ


となる。ただし、凹i傾斜があるので、それを太字(ボールド)にし、帰結をイタリックにすると、


凸i(原キャシー)*凹i(原ヒースクリフ)⇒+1(ヒースクリフ


となる。
 これが、『嵐が丘』の初代キャサリンの心、精神の様態の方程式である。
 では、ヒースクリフの心はどうなるかと言えば、


凸i(原ヒースクリフ)*凹i(原キャサリン)⇒+1(キャサリン


であり、凹i(キャサリン)に傾斜しているのであり、その帰結は、キャサリンという同一性であるが、キャサリンがリントンと結婚して、いわば、奪われたので、ヒースクリフは、空(くう:ゼロ:Φ)となった凹i(原キャサリン)を満たすために、非理性的な復讐鬼となるのである。
 しかしながら、当然、その絶対的空虚は埋まらないのであり、復讐は永遠に続くはずのものである。
 しかし、キャサリンが亡霊としてヒースクリフの心に出現したので、空虚が埋められたので、また、同時に、キャサリンの心も満たされたので、上記の二つの方程式は完結したと言えよう。
 即ち、


凸i(原キャサリン/原ヒースクリフ)*凹i(原ヒースクリフ/原キャサリン)⇒同一性(ヒースクリフ/キャサリン


が形成されたのである。