マイナス1とコスモス:虚軸ゼロ点の差異共立一如様態とマイナス1の

マイナス1とコスモス:虚軸ゼロ点の差異共立一如様態とマイナス1の超越性の連結としてのコスモス


テーマ:検討問題:思考実験・仮説・試論・備忘録


これは直感である。
 Kaisetsu氏が、中世や古代においては、超越性ないしは超越的存在が認識されていたというようなことを述べられていたのを、マイナス1のダーク・マターとプラス1の物質(マター)との関係について考えている際に想起して、本題を思いついたのである。
 今は余裕がないのでざっと記す。
 結局、近代、西欧近代とは、文化史的には、それ以前に存していたコスモスを喪失したのである。コペルニクスガリレオの近代的宇宙観が古代・中世・ルネサンスのコスモスを破壊したのである。(ルネサンスは中世と近代の転換点で両面的である。)
 すぐれた多くの詩人や作家たちは、その後、コスモスへの郷愁を表出しているのである。日本では、宮沢賢治を考えればわかりやすい。
 しかしながら、これは、単に表象・表現の問題ではなく、リアリティの問題である。
 結局、西欧ないしは欧州においては、中世までは、キリスト教と重なるようにして、コスモス、異教的コスモスを「認識」していたのである。
 直感で言えば、これが、マイナス1である。ダーク・マター・コスモスである。
 ここには、一如差異共立的「感性」があったと思われるのである。(思うに、キリスト教自体も、このコスモス感性によって、維持されてきたということもできよう。言い換えると、異教的コスモスが民衆にキリスト教信仰を保持させたと言ってもいいだろう。)
 これは、単に観念、理念、概念ではなく、感じられるものであったと言えよう。いわば、超越的感性、超越的精神性、超越的情感である。
 この精神的感性とは、当然、media pointを介して、虚軸からマイナス1の超越的存在=霊的宇宙(霊的大地)への超越的感覚であったと考えられるのである。
 つまり、民衆はそれなりに、media pointを開いていたのである。ルネサンスにおいてのmedia pointの開花とは、凸iが主導的になっているだろう。しかるに、近代以前までは、凹iが主導的で、media pointが開いていたと思われるのである。(この点の様態の違いについては後で検討したい。)
 とにかく、近代以前の民衆は、media pointを介して、虚軸ゼロ・ポイントにおいて、マイナス1のコスモスを直感していたと思われるのである。
 そう、ルネサンス・近代から見れば、近代以前の民衆の意識とは、物質と精神が未分化様態にあったのではないだろうか。

 e^iθ⇒cosθ+isinθ

で見ると、θがゼロにならない事態だと思われる。つまり、0<θ≤π ではないだろうか。
 θがゼロになるときが、近代なのである。θがゼロになるとき、思うに、media pointが閉じられるのではないだろうか。端的に、虚数部がゼロになるのだから、虚軸性が消失して、虚軸ゼロ・ポイントの超越的感性が喪失すると当然考えられる。
 ということで、近代以前においては、虚軸ゼロ・ポイントの超越的感性が作用していたと考えられるが、超越性とは、マイナス1に基づくそれと考えられる。つまり、マイナス1と虚軸ゼロ・ポイント(IMP)が連動しているので、虚軸ゼロ・ポイント、虚軸のmedia point(IMP)において、超越性が感受されると考えられるのである。
 この点については後で詳述する予定であるが、仮に、マイナス1のmedia pointへの動きによって、虚数対が生起するとして、そのとき、虚軸media pointは感受点と言えるのではないだろうか。
 つまり、差異共立一如様態が発現すると思われるが、そのとき、media pointは一如様態の感受点であると考えてもおかしくない。即ち、超越的存在であるマイナス1のエネルギーないしは力動を、差異共立一如様態として、感受しているということである。
 そう、虚軸ゼロ・ポイントという感受点にとって、マイナス1とは、異次元であり、超越的であると言えよう。
 だから、虚軸ゼロ・ポイント、虚軸media pointにおいて、超越的コスモスが感じられるというのは、考えられることである。コスモスとは一体的な宇宙、一如的に宇宙のことであり、それは、差異共立一如様態で説明できるが、超越性は、マイナス1で説明できるのである。
 以上、思考実験的であるが、古代、中世、ルネサンスにおけるコスモスとは、虚軸ゼロ・ポイント、虚軸media pointにおけるマイナス1と結びついた超越的宇宙であることを考察した。
 結局、マイナス1、超越的存在、霊的存在、ダーク・マターとはある意味で、本来、身近なものであるが、近代的意識のプラス1が支配しているので、まったく、「幽霊」になってしまっているのである。
 思うに、根井康之氏が唱える、初期マルクスフッサールを介した根源的自然とは、正に、マイナス1を根底にもつ差異共立一如様態のコスモスであると思われるのである。
 後で、マイナス1に基づくmedia pointの諸様態について考察を行いたい。