白人文明の嫉みによる嫌がらせ、暴力・攻撃・支配が問題である

白人文明の嫉みによる嫌がらせ、暴力・攻撃・支配が問題である


テーマ:ポスト・ユダヤキリスト教西洋文明


白人文明、西洋文明は表面は天使の顔であるが、肚の中には、悪魔が潜んでいる。
 民主主義的な押しつけ善意(独善性)があるし、実態は、帝国/植民地主義である。
 白人民主主義をキリスト教的民主主義と見てもいいだろう。問題は、他者に白人民主主義/キリスト教的民主主義を押しつけることである。
 この力学は何か。民主主義的善意の根底には、暴力・支配・攻撃、つまり、悪意があるのである。
 つまり、自分を民主主義的善と同一化したとき、それは、同一性主義であり、差異である他者を否定・排除することになるのである。
 つまり、ここには、白人民主主義の同一性主義の問題があるのである。自己を差異と認識しないといけない。民主主義的善と同一化したとき、自己差異は否定され、同時に、他者の差異も否定されるのである。
 この自己差異/他者差異の否定が端的に暴力・攻撃・支配なのである。善的同一性主義になったとき、差異・他者に対する憎悪が発生するのである。これが、白人・西洋民主主義的精神の内面・基盤にあるものと考えられる。言い換えると、ジキルとハイド的文明ということである。
 ところで、肝心なことを考察するのを忘れていた。この同一性の嫉みは、ユダヤ教に拠るのか、キリスト教に拠るのか。
 ニーチェキリスト教ルサンチマンを説き、ユダヤ教には肯定的であった。
 愛にしろ、ヤハウェの正義にしろ、それは、同一性に基づくのであり、両者が同一性の嫉み(ルサンチマン)を発生させると考えられる。後で精緻に考えたい。

追記:ここでは、白人文明、西洋文明とは、父権的文明と理解する必要がある。これまで何度も述べたように、西欧文化のベースには母権的文化があり、それこそ、真正な、つまり、差異的な民主主義の母体だと考えている。
 また、アングロ・サクソンと言っても、イギリス文化の基盤には、ケルト文化があるのであり、それは、女神文化なのである。東洋的文化なのである。


「愛しい」モーツァルト弦楽五重奏曲第4番K.516ト短調


テーマ:クラシック CD/DVD/YouTube


この弦楽五重奏の冒頭は、交響曲40番の冒頭よりも、痛切な美しい哀感がある。それにしても、ト短調モーツァルトの運命の調性なのだろう。これは、正 に、愛しい(かなしい)と形容すべきである。
 また、憂い、憂愁があるとも形容ができよう。しかし、単に情感というよりは、普遍的な精神が一時生 きているこの世の愛しさを歌っているのである。いわば、幽界(幽世かくりよ・霊界)と現し世(顕世うつしよ・この世)との境界でモーツァルトは歌っている のである。それは、正に、ps理論で説くMedia Pointで歌っているのである。天才たちは皆、Media Pointで表現するのである。あの世とこの世の奇蹟的な融合点で歌うのである。

追記:ピアノ協奏曲20番も傑作であり、ニ短調もいい。

参 考:
大辞林 第二版 (三省堂

かなしい 【悲しい/哀しい/愛しい】

(形)[文]シク かな・し

[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》
「母に死なれて―・い」「誠意が通じなくて―・い」

[二](古くは「愛し」と書かれた)

(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》
「何そこの児(こ)のここだ―・しき/万葉 3373」

(2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。
「みちのくはいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手―・しも/古今(東歌)」

(3)見事だ。感心するほど立派だ。
「―・しくせられたりとて、見あさみけるとなん/著聞 17」

参考 2:YouTubeのコメントも同じことを告げている。人間の心・精神の全人類的普遍性。


wanzenettl (1年前) 表示 非表示
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Mozart_ at his very finest.
Libertein818 (1年前) 表示 非表示
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I'd never heard this piece before now, its so moving_ and very sad but beautiful as well. wonderful playing, thanks for uploading.
elias12186 (1年前) 表示 非表示
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Well the miss out_ on the saddest, best part.
ashraniyyah (10 か月前) 表示 非表示
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Of course; with sadness comes joy._
http://ameblo.jp/renshi/entry-10459568809.html




哲学とブログ:悪は誤魔化し・隠蔽と一如である


テーマ:ゾロアスター教とトランス・モダン


優れたブログやHPは、真実、真相、真理を追究・追求しているのであり、それは、端的に、哲学的希求である。
 それに対して、悪を事とする支配・権力側、つまり、悪霊側は、当然、悪であるから知られないように誤魔化しを、虚偽・隠蔽・排除(殺人)をするのであ る。
 これは、明らかに、ゾロアスター教の世界観に即している。善と悪との最終戦争が行われているのが、現代である。それは、トランス・モダン進化を意味す る。
 それに対して、善でも悪でもない、凡庸の徒が大半である。烏合の衆、有象無象、愚衆・愚民である。彼らは、何のために生きているのか。それは、悪人を肥 やすために、欺されて、奴隷のように生かされているということだろう。


地球寒冷化:地球温暖化「神話」は排出権国際的利権屋の共謀ペテン
テーマ:エネルギー問題・国連地球温暖化共謀ペ テン
■ 地球寒冷化の実態

 http://www.epochtimes.jp/jp/2010/02/html/d22054.html

東海アマチュア地震予知研究会



確かに、民主主義形式をもつが、悪平等ではないか:差異共振政官同盟主義へ


テーマ:公務員問題:官僚、役人、議員、教員、他


私は、昔から、官僚も選挙で選べばいいと思ってきた。問題は、複雑である。この「同格」主義は、官僚ヒエラルキーを破壊する。そして、政治主導と言っても、官僚の才覚に及ばない政治家が主導するのである。これは、反現実的である。やはり、政治家と官僚の差異共振主義が望ましいのである。
 思うに、ロシア革命の際、ボルシェビキがメンシェビキを排除したが、それは革命的同一性主義の誤りである。これで、粛清・恐怖政治が生まれるのである。
 優秀な官僚を活かす方策、差異共振方策が必要である。薩長同盟ならぬ、政官同盟である。

公務員制度:次官〜部長「同格」に 政府方針

 鳩山由紀夫首相は15日、閣議決定を先送りしていた国家公務員法等改正案での幹部職員の降格規定に関し、次官級、局長級、部長級を同格とみなすよう修正し、中央官庁全体で約600人いる部長級以上の幹部を柔軟に配置転換できるようにする方針を固めた。原案の「降格」との概念をなくして「転任」とし通常の人事で次官級から部長級への格下げや、逆の抜てきが実施できるようにする。19日にも閣議決定する。

 鳩山首相が15日、官邸で仙谷由人国家戦略担当相、原口一博総務相ら関係閣僚と協議して決めた。その後首相は記者団に「やる気のある人は抜てきし、やる気のない人には厳しい、というメッセージ。年齢にかかわらず(人事の)自由度を高め、次官を終えた後も役所で仕事してもらう人も出てくる」と語った。入省35〜36年の次官級から入省29〜30年の部長級人事を一括し、年次が逆転した配置もありうると指摘した。

 原案では次官・局長級の部長級への降格には「特例降任」制度を用いるとされた。ただ、(1)勤務実績が劣る(2)他の人の方が優れた実績を上げられる(3)転任させる役職がない−−をすべて満たさねば降格できなかった。麻生政権の改正案と同じ内容に原口氏が「本当に降任できるのか」と疑問を呈していた。

 修正案は、次官級と局長級を「同一の職制上の段階」とみなす原案の規定を部長級に拡大する、というもの。次官・局長級と部長級でそれぞれ用意するはずだった名簿も一つに統合し、政権の意向に沿う官僚を重要なポストに起用しやすくする。松井孝治官房副長官らが野党時代から提唱していたものだ。

 ただ、麻生政権の法案にあった人事院改革には踏み込まず、官邸主導の人事管理を優先する基本方針は変わらない。官僚からは「政治家の好き嫌いで恣意(しい)的な人事になる」「公務員の身分保障に反する」などの指摘も出ている。仙谷氏も「やたら振り回すのは危ない。乱用防止と同時に適材適所ができるかどうか」と課題を挙げた。【小山由宇】

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100216k0000m010088000c.html