虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点の間に垂直なMP軸ないしは即非軸を作業仮説す

虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点の間に垂直なMP軸ないしは即非軸を作業仮説する:その他


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


1)ベルクソンの「イマージュ」哲学とPS理論:


ベルクソンの『物質と記憶』を読み続けているが、とても、スリリングである。確かに、難しい箇所があるが、基本的な思想は明快である。要点解説を読了後に行いたい。
 ところで、興味深い発想が起きたので、記しておきたい。

      |+i
      |
      |
      |
ー1_____◎_____+1
      |
      |
      |
      |-i

(◎は、Media Pointである。)


次に、虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点を区別するために、作業仮説的に、Media Point軸、即非軸を導入してみる。


         /+i
        /
       /
      ○_____+1
     /↑
    / ・
   /-i  ・
      ・
      ↓
ー1____ ● 
   

うまい図ではないが、○が虚軸ゼロ点であり、●が実軸ゼロ点である。そして、点の破線がMedia Point 軸(MP軸)、即非軸、いわば、仮想軸である。
 説明すると、通常は、MP軸(即非軸)が縮約されて、○と●とが重なって、◎(最初の図の◎である)になっていると考えられる。
 さらにポイントは、虚軸ゼロ点から+1、あるいは、⇒+1が、そして、実軸ゼロ点から-1があるいは、⇒-1が形成されるということである。
 +1が差異共振的自己(ほぼ、ユング心理学の自己)であり、-1が同一性自己(自我:やはり、ほぼユング心理学の自我)である。正しい自己認識は当然、前者であるが、近代的自我は、後者に堕しているのであり、前者が「無意識」(精神身体=東洋的身体)となっていると考えられる。
 -1の同一性自己(自我)は、実軸ゼロ点(同一性原点・同一性志向性原点)を出発点としているのであり、差異共振性をもつ虚軸ゼロ点を排除しているのである。これは、とても、明晰な解明であると考えられる。そして、これが正しければ、ハイデガーの「存在」も明晰に解明できると考えられる。即ち、「存在」とは、MP軸に接した実軸ゼロ点であると考えられる。このMP軸に接しているという点で、「存在」は、Media Point自体に一見似ているということになるのであるが、ハイデガーは、フッサール現象学の超越性を否定しているので、虚軸ゼロ点には達していないのである。これで、実に、フッサール現象学ハイデガー存在論が質的相違が明晰になったと言えよう。因みに、フッサール現象学は、虚軸ゼロ点に達していたのである。しかし、(+i)*(-i)の超越的差異共振性までに達しなかったと考えられるのである。
 因みに、ポスト・モダンについて言うと、デリダ脱構築主義は、ハイデガー存在論を踏襲していると考えられるのであり、即ち、-1と実軸ゼロ点/MP軸との差異(差延)を問題にしているのである。そして、ドゥルーズであるが、彼は、ベルクソンの優れたMedia Point的特性をもつイマージュ哲学を凡庸な連続的差異思想に貶めてしまったと考えられるのである。つまり、ベルクソン哲学にあった虚軸ゼロ点(記憶)と実軸ゼロ点(物質)の「差異」を暴力的に解消して、一致させてしまっているのである。即ち、虚軸ゼロ点を実軸ゼロ点にしてしまったのである。そのため、エネルギーは連続化されて、無限の同一性が発生するのである。これは、無限の信用創造と等価である。つまり、ドゥルーズ哲学とは、同一性主義金融資本主義と等価なのである。
 さて、本論のMP軸・即非軸の作業仮説にもどると、この、いわば、下降の方向性は、物質化の方向である。ここで、同一性自己(自我)も形成されるのである。しかしながら、自己とは、本来、超越的差異共振性から発生するものである。虚軸ゼロ点における差異共振性から生起するものである。これをどう考えるのか。思うに、初期差異共振性が、いわば、第1期虚軸ゼロ点で形成される。その後、下降が生じて、実軸ゼロ点が発生する。これが、同一性=物質化である。このとき、虚軸ゼロ点が排除されるようになるのである。
 ここで以下(2)で、ギリシア神話について述べた視点に言及するといいだろう。母権原理と父権原理の対立複合体としてのギリシア神話について述べたが、ギリシア神話とは、端的に言えば、虚軸ゼロ点である差異共振性である母権神話と実軸ゼロ点の同一性志向性の父権神話の、両ゼロ点が、MP軸=即非軸を介して、複合化しているものと考えられる。より精緻な検討は後で行いたい。
 さて、MP軸=即非軸についての検討を続けると、思うに、虚軸の1/4回転を以前において、⇒+1が生起するのではないだろうか。それは、初期差異共振性である。しかし、1/4回転によって、虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への移行が生起して、差異共振性が隠蔽されて、同一性自己や物質が発生すると考えられる。これは、MP軸の↓で表記される事態と言えよう。
 ここで、欧州文化史について言えば、イタリア・ルネサンスとは、虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への下降を意味していよう。そして、デカルト哲学もほぼ同様ではないだろうか。ただし、実軸ゼロ点性に傾斜している。
 そして、近代合理主義・近代的自我とは、完全に実軸ゼロ点を原点にした発想になると考えられる。
 この点に関してのいちばんの問題は、虚軸ゼロ点の隠蔽の事態にある。この点では、デカルト哲学が問題である。虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への下降の帰結の時点で、デカルト哲学が成立していると思われるのである。
 だからほとんど、虚軸ゼロ点が隠蔽される事態になっていると考えられる。コギトは虚軸ゼロ点でありながら、同時に、実軸ゼロ点になっているのである。だから、デカルト哲学は、虚軸ゼロ点⇒実軸ゼロ点の志向性と言えよう。(それに対して、フッサール現象学は、実軸ゼロ点⇒虚軸ゼロ点の志向性をもっているだろう。上図では、破線の↑である。)
 とまれ、近代、西洋近代とは、虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への下降のベクトルをもち、結果として、出発点の虚軸ゼロ点を喪失した時代であったと考えられる。この実軸ゼロ点への下降によって、原点の虚軸ゼロ点を喪失することになったのである。これが、第一1/4回転である。
 しかしながら、私のこれまでの考察に拠れば、第二1/4回転が発生して、MP軸の下降から上昇へと転ずるのである。即ち、実軸ゼロ点から虚軸ゼロ点へと再帰するのである。この典型がフッサール現象学である。(だから、ハイデガー存在論とは、反動的で、上昇を押し留めて、実軸ゼロ点に引き戻したと言えよう。)
 さて、MP軸=即非軸であるが、これは、実際は、時間軸、あるいは、エネルギー軸、まとめれば、時間エネルギー軸ではないだろうか。これが、現象界における生成を生んでいると考えられる。つまり、第四次元である。そして、第五次元であるが、それは、+1の軸、そして、第六次元は、虚軸と考えられるかもしれない。この点については、後で子細に検討したい。
 だから、アインシュタインの公式は、時間エネルギー軸を含めた時空四次元論を意味していると言えよう。
 そして、量子論について言うと、それは、端的に、虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点の事態の自然科学と言えよう。前者が波動であり、後者が粒子であろう。これを相補性によって捉えたのである。
 今はここで留めてくおく。


2)新多神教と女神:私は新多神教、新女神文明を提唱しているが、前者は、結局、差異共振性が多元性であるから、そうなるのであり、新アニミズムとも言える。
 問題は、後者である。女神というとき、私がかんがえているのは、エジプト神話のイシスであり、オリエント神話のイナンナ、イシュタルであり、ギリシア神話のガイアやデーメーテールであり、また、アマテラスである。また、聖母マリアや聖アンナを含められよう。
 神道における三柱の神であるが、私はこの三元性の中心の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をMedia Point(Cosmic Media Point)と考ええている。+iと-iが他の二柱の神と考えられる。つまり、(+i)*(-i)が天之御中主神である。そして、それは、女神と私は考えるのである。原光と原闇の共鳴によって、超越光が発せされる。これが、垂直に実軸へと展開して、光となると考えられるのである。
 この視点から見ると、アマテラスは、超越光ではなく、光になりそうであるが、私の直観は、アマテラスは超越光である。これは、結局、視点の問題である。エジプト神話のイシスであるが、それは、超越光であり、そこら、オシリスの光が生まれると思うのである。だから、この対応を適用して、アマテラスを超越光とするのである。そして、スサノオを光と見るのである。
 ただし、アマテラスは、「天皇教」の視点が入っているようにも思える。ギリシア神話で言うと、アテナイ女神に近いのかもしれない。つまり、ゼウス/アポロの父権側である。しかし、ギリシア神話は複雑さなのである。
 ギリシア神話は父権的神話と母権的神話が衝突しているのであり、ゼウス的統一志向と女神的共振志向が複合化しているように感じられるのである。それが、微妙なところがあるのである。
 とまれ、直感で言い直すと、同一性志向性と差異共振志向性が衝突して、且つ、結合しているのである。一種の即非状態である。そう、一種の絶対矛盾的自己同一である。同一性主義であり、且つ、差異共振主義である。父権主義であり、且つ、母権主義であるという感じである。
 これは一体何なのか。思うに、一種のMedia Pointの様態である。即ち、Media Point(Cosmic Media Point)における、同一性志向性の発現と差異共振的志向性の発現とが絶対矛盾的に発動していると思われるのである。Media Pointにおける父権原理と母権原理が複合的に矛盾結合していると言えるように思える。だから、Media Point的対立複合体と言えよう。
 以上、やや脱線してギリシア神話の本質を考えて、アマテラスに戻ると、アマテラスも、Media Point における母権原理と父権原理の対立複合体であると思われるのである。
 この点を押さえておけば、アマテラスを超越光と見てもいいように思うのである。しかし、やはり、対立複合の女神と見るべきである。(思うに、この視点が沖縄の王権の成立を説明できるかもしれない。いわば、ヤヌス的なのである。一方では、母権原理があり、他方では、父権原理があるのである。これは、 Media Point両性原理複合体と呼べるかもしれない。
 しかしながら、重要なのは、本質的な不連続性である。Media Pointにおける虚軸ゼロ点と実軸ゼロ点の不連続性、断層、切断性である。