酸素と超酸素(「気」):O{i*(-i)}+O{i*(-i)}⇒O2{i*(-i)}

O+O⇒O2
ここで、思考実験で、O{i*(-i)}+O{i*(-i)}⇒O2{i*(-i)}としよう。簡略化して、i*(-i)をIと表記しよう。OI+OI⇒O2Iとなる。
 思うに、「気」というものは、このO2Iを指しているのではないだろうか(p.s. 狭義においては、「気」はIである)。物質科学では、O2を検証できるが、O2Iを検証できない。何故なら、超越界を想定していないからである。
 Iは、物質、この場合は、酸素のメディア・ポイントに存しているだろう。ここに、「気」(プラーナ)が共振しているのである。
 夜明けの大気が気持ちがいいのは、光(超越光を含む)によって、酸素が超越化して、「気」を増加させるからではないだろうか。
 また、光合成であるが、これも、やはり、単に、酸素を発散させているというよりは、「気」のある酸素を生みだして、植物のある周囲の空気を精神的清浄化しているのではないだろうか。
 たいへん興味深い問題であるが、今は、とりあえず、簡単に提示するに留めておく。


p.s. 結局、この「酸素」の問題は生命の問題に深く関わる。血液は、ヘモグロビンが、酸素を運ぶ。
 問題は、超越性、超越エネルギー、超越波動であるi*(-i)の問題である。超越光/光の問題でもある。
 今は、思考実験で言うだけだが、端的に、生命とは、i*(-i)ないしic*(-ic)のことではないだろうか。宗教的には、お水取りにあるように、火*水である。
 とまれ、直観では、i*(-i)が、生命の種子・卵・胚のように感じられる。そう、情報と言ってもいい。生命は、天の情報の現象化のことかもしれない。超越情報の現象が生命ではないのか。
 だから、物質にも、なんらかの生命性が存しているのである。