空想的試論:PS理論と量子論

先の試論において、うまく当てはまらないのは、PS理論と量子論とを一致させようとしているからである。それは、無理があるだろう。

 あくまでPS理論の発想に即して、量子論的展開をすべきなのだと思う。観測問題に関しては、PS理論は言うべきことをもっている。だから、この辺りから、さらに展開するといいように思う。
 
 すなわち、差異即非様相としてのイデアがある。これを単純化して、i*(-i)としよう。思うに、iを元粒子とすれば、-iが元反粒子となるだろう。そして、*が共振元波動を意味しうるだろう。メディア・ポイント(以下、MP)を介して、同一性化する。現象化である。

 注意すべきは、MPにおいて、元粒子と元波動とが即非一如であることである。先に、排他的二重性ではなく、即非的二重性と考えた。

 この即非二重様相を、イデアはもち、現象化において、同一性となる。量子(例えば、光子)は、即非粒子/波動様相であり、それが、現象化において、粒子、又は、波動として観測されると先に考えたのである。(参考:「だから、原波動・即非・原粒子というイデアと、波動と粒子という物質の両面を帯びていると考えられるのである。そして、観測によって、素粒子は、物質化されて、波動か粒子のどちらかに分化すると考えられるだろう。http://ameblo.jp/renshi/theme-10000232278.html 」)

 さて、粒子と反粒子であるが、ここでは、iを元粒子、-iを元反粒子と言ったのが、問題は、i*(-i)の差異即非をどう見るのかである。先には、iないし-iが元粒子性、*が元波動性と見たのである。

 ならば、iと-iはどうなるのか。元粒子と元反粒子でいいのだろうか。少なくとも、ここには、即非的関係のイデア性をみないといけない。イデア自体が、即非様相であることを確認しないといけない。もし、イデアを元個と考えると、この元個は、元自己と元他者との即非性の構造をもっているのである。

 粒子のことで言えば、元粒子と元反粒子即非様相としてイデアがあると考えられるように思うのである。

 すると、イデアの現象化として、粒子と反粒子が対生成すると考えられよう。作業仮説として、+1を粒子、-1を反粒子としよう。

 しかしながら、MPにおいて、i*(-i)ないしi^2ないし(-i)^2が潜在していると考えよう。

 ここで、思考実験ないし空想であるが、i*(-i)のイデアを元原子核と考えよう。そして、現象化において、それが、収束して、原子核ないし原子になるとしよう。このとき、例えば、mic・(-ic)⇒mc^2=Eとなるとしよう。エネルギーが発生するのである。(思うに、これが、原太陽ではないだろうか。)

 とまれ、i*(-i)を元原子核ないし元原子としよう。ここには、元波動があるし、また、元エネルギーもある。

 今、私が考えているのは、電子のことである。原子核を周回する電子のことである。ここでは、強引ではあるが、+1と-1を電荷と考えようか。つまり、イデア=元原子核の現象化によって、+1と-1に分化すると考えるのである。分極化である。これを、電荷として見ていいのではないだろうか。原子核ないし原子とは、この分極化と連続的な事象である。思うに、MPにおける、差異即非イデアの連続態を原子核ないし原子と見たい。そして、±の分極化を電子と見るのである。

 そうならば、原子とは、MPにおける、差異即非イデアの連続化と言えるのではないだろうか。

 さらに、分子とは何かと言えば、それは、この原子のさらなる連続化で説明がつくのではないだろうか。

 強い力と弱い力とは、思うに、イデアの差異即非エネルギーの極性力に関係するのではないだろうか。そして、重力や電磁力であるが、それらは、連続性の極性力ではないのか。

 つまり、言い換えると、強い力と弱い力は、イデア的エネルギー極性を連続性からみているのである、重力と電磁力とは、現象化したエネルギーの極性ではないのだろうか。そして、この現象エネルギーの背後には、イデア・エネルギーがあるのである。

 ここで、飛躍するが、意識、認識の問題に触れたい。

 物質も本来は、イデアなのであるから、元意識や元認識があるはずである。元知・即非・元身体であるからである。以上の見方で言えば、原子には、原意識があると思うのである。なぜなら、それは、イデアを内在し、また、連続性ないし同一性をもつのだから。

 すなわち、強い力と弱い力が、潜在意識であり、重力と電磁力が、顕在意識ではないだろうか。(オカルト理論的になってきたが、空想的試論を今少し続けよう。)

 ならば、物質の意識と人間の意識の違いは何か。思うに、差異共振性の有無ではないだろうか。思うに、物質の意識とは完全な連続的同一性ではないだろうか。-1である。それに対して、人間は、根元的に+1を強くもっているのである。

 しかし、近代意識は、物質の意識と同じだと思う。他者を否定するのであるから。正に、Materialismではないか。

 機械の意識と言ってもいい。連続的同一性の意識である。それは、悪魔の意識でもある。そして、現代日本人は、これに感染しているのである。

 ここで、留めたい。後で、再検討したい。