同一性自己の他者否定について

同一性自己が何故、他者を同一性化するのか。他者・差異に同一性自己を押しつけて、他者・差異を無化するのであるが、その力学を考えよう。この点については、以前に検討済みであるが、確認のため考察しよう。
 同一性自己(近代的自我)は、自己自身の差異を否定・排除・隠蔽しているのである。言い換えると、差異共振性を否定しているのである。同一性が優位であり、差異は劣位である二項対立自己になっているのである。即ち、同一性自己とは、同一性を志向する自己、即ち、自我なのである(自我は、同一性自己のことであり、近代的自我とは、近代合理主義を信奉する自我、又は、唯物論的自我のことである。)。だから、完全に同一性となった自己ではなくて、差異を否定する同一性志向性をもった自己のことである。そして、この同一性志向性とは、暴力、威圧、攻撃、威嚇、暴圧、等々である。だから、同一性自己とは、不幸なのである。常に、自己内の差異を否定し、自己外の差異を否定する志向性を帯びているからである。有り体に言えば、殺気立っているのである。攻撃態勢にあるのである。休むことを知らないのである。
 差異への否定は、憎しみ、妬み、蔑み、等々のルサンチマンである。では、ターゲットとなる差異はどういうものだろうか。同一性自己にとり、己より、優位にあるものが、攻撃対象となるのである。差異であっても、劣位ならば、攻撃はしない。何故なら、自己優位があるからである。しかるに、自己より優位にある差異・他者へは、攻撃の刃を向けるのである。これで、解明できたこととしよう。