小泉自滅政権と日本の深層のメディア界の反逆

どうも、小泉政権を見ていると、太平洋戦争末期というか、国民に虚偽の情報を与え、国民を破滅・破壊の奈落の底に落とした自暴自棄の政策を想起する。自滅・自壊へまっしぐらに突進しているのが似ている。なにか、とても非合理主義的な、不条理な衝動が共通している。精神分析から言えば、死の欲動と呼ぶべきものだろう。(ブッシュにもある。新自由主義には、このような無意識があるようだ。)不連続的差異論から言えば、自我・近代的資本主義が抑止するメディア界が、破壊の力・衝動をもって反作用していることとなろう。だから、アメリカに貢ぎ物を奉献し、日本という国を破壊することを小泉内閣は志向しているのは、自我・近代・連続的資本主義の力学と言えるだろう。恐ろしい力学であるが。破壊衝動である。小泉氏の深層心理には、破壊衝動、死の欲動、反動化したメディア界の「強度」があるということである。(そう、また、石原都知事にもある。また、小泉を支持する日本人にもあるということになろう。)この盲目の力は、何を目指しているのだろう。これは、不連続的差異論から言えば、メディア界の力の促しである。メディア界のいわば反逆である。あるいは、メディア界の復讐である。連続・同一性の日本社会の現象界への攻撃である。推測するに、日本の深層の「精神」が、近代主義へ反逆反抗しているのだろう。近代主義によって否定された日本の伝統の「精神」=メディア界が、反乱しているのだろう。日本人の精神の深層にあるメディア界の力を、知的合理的に解放しないといけないのだろう。これは、折口信夫の新神道論に通じるだろうし、当然、不連続的差異論に通じる。結局、イデア界を認めることが必要なのだと思う。新たなアマテラスを確認することが。日本人の深層の「魂」・メディア界が、狂乱しているのである。ディオニュソスの反逆である。皮相な合理主義では、これは解決できない。根源に返るしかない。不連続的差異論をはっきりと認識すべきである。
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