新アマテラス・イシス資本主義:自我・連続的資本主義から連差異資本

antares2005-08-28

連続・同一性の自我・反動的自己(メディア界のエネルゲイアを抑止した自己)が、資本主義、国民国家資本主義、近代的資本主義、連続的資本主義とパラレルである。この他者を否定する自我が、連続的資本主義と一如である。反動暴力・権力的である自我と一体である。だから、この近代・連続的資本主義社会は、ますますホッブズ的になるのだ。万人の万人に対する戦争である。戦争・犯罪・狂気/病理の洪水となるのだ。これは相互反射で、蔓延するのだ。結局、メディア界を閉ざしているため、このように反動暴力衝動・狂気に囚われるのである。メディア界を能動的に、また不連続的に、開放しないといけない。すなわち、身心の開拓である。(もっとも、ここで、オカルティズムに染まってはいけない。)ここから、差異のエネルゲイアイデア界のエネルゲイアを発出すべきなのである。すると、社会、経済、文化等が変容するだろう。いわば相転移するだろう。どうなるかと言えば、経済的には、自我/連続的資本主義から、個/差異的資本主義へと変容する。差異と資本が連結して、相互生成・生産・創造するだろう。差異と資本の連が生まれる。連差異資本経済である。それは、差異創造的共立共生の経済となるだろう。なぜなら、差異は闘争的であるが、平和的であるからである。連続性は、和合・談合的であるが、抑圧・戦争的である。そう、自然と社会と経済と文化との創造的連(略して、創連にしよう)が生起するだろう。イデア界が直接、経済に、資本に働き掛けるのである。新イシス、新アマテラスの力が経済、資本と連結するのである。イデア界・新イシス・新アマテラス・新太陽資本主義である。

補足:
連続・同一性の自我が、なぜ共同体、談合、連続体的となるのか。父権的連合体となるのか。これは、ほとんど自明だろう。言語的同一性として自我は成立する。ここには、差異を排出する力学、連続・同一性の力学がある。これは、連続・同一性の観念・自我に一致する力学である。だから、自我は、連続・同一性の自我は、共同体、談合、連続・連合体、統一体となるのだ。当然、国家共同体、国民国家共同体を志向するのである。小泉失政首相が、靖国参拝、郵政「民営化」、「三位一体改革」を志向するのは、このためである。近代日本とは、天皇制という一神教国民国家主義である。これの後遺症が小泉失政政府である。パラノイア首相である。夜郎自大首相である。米国とともに去りぬ。