連続・同一性の排斥力について

antares2005-08-26

1.イデア
d1/d2/d3/・・・/dn

2.メディア界
d1±d2±d3±・・・dn

3.現象界
d1+−d2+−d3+−・・・−dn
d1−+d2−+d3−+・・・+dn

2から3への移行に際して、差異dkを排斥する連続・同一性の力があるはずである。それは、極性力の展開だろう。極性力の展開として排斥力が生起するのだろう。これが一神教としての太陽神だろう。(イスラム教はここでは考慮しない。なぜなら、イスラム教は月をベースにしているからだ。つまり、イシスをベースにしているのだ。)ならば、2→3としての一神教としての太陽神だろう。ここで、差異が排出・排斥されるのだ。これがまた、父権制である。差異であるイシスを否定するのだ。ヤハウェである。ルサンチマンである。
 しかし、極性力の展開ならば、揺り戻しがあるはずである。すなわち、極性力の展開として分離・分化力があるならば、反対に、差異への回帰の力が発生するはずである。つまり、90度回転を戻す力である。−90度回転である。すなわち、−i化である。これが、メディア界に反作用としてはたらくはずである。すなわち、+i化の力と−i化の力がメディア界に作動しているはずだ。ここが微妙なポイントだろう。メディア界の力の「差異」である。ここで、「時間」のずれ、遅れがあるだろう。イデア界の事態・出来事だから、ほんとうは、無時間、瞬時のことであるが、差延としての遅れを見よう。すると、最初に、+90度回転が起こる。そして、これは、差異を排斥する。一神教が生起する。しかし、正確に言えば、その前に、多神教が発生する。それは、メディア界の出来事であろう。それから、メディア界→現象界として、一神教としての太陽神が発生するということである。そして、キリスト教が発生する。しかし、その後、−90度回転の力が作動する。それは、差異化である。そう、螺旋が発生するだろう。イデア界への回帰としての螺旋運動である。それは、x軸への回帰である。それは、メディア界から見たら、メディア界→イデア界の運動だろう。これは、多神教として表象されるだろう。しかし、最初の多神教とはまったく異なるだろう。なぜなら、最初は多即一(差異即同一性)で、また揺らいでいたのであるが、第二の多神教とは、同一性とは切断されて、差異自体へと回帰するものだからである。すなわち、不連続的差異としての多神教である。換言すると、最初の多神教とは、いわば連続的差異(=微分)の多神教である。一に統一される多である。ベルクソンハイデガーの差異である。そう、構造主義多神教である。しかし、第二の多神教は、不連続的差異の多神教、特異性の多神教、脱構造主義多神教であり、多非一である。多の共立としての多神教である。そして、現代、この−90度回転、−i化が生起しているのだろう。イデア界への回帰である。ニーチェ/ロレンス/折口の方向である。(ドゥルーズガタリは、混乱してしまった。)これは、脱西洋文明である。しかし、東洋文明の復活ではないだろう。新しい地球・宇宙文明だろう。新ヘレニズムと言ってもいいだろう。
 さて、この−化は、座標的にはどうなるのだろう。直感で言うと、−y軸からの90度回転で、x軸に回帰するように思えるのだが。ということは、−x軸は、現象界に相当するのではないだろうか。そして、−y軸が、第二のメディア界であり、当然、回帰するx軸がイデア界である。
 また、後で検討する。