ホリエモンと不連続的差異的資本主義(ポストモダン的経営)

いわゆる、ポストモダンポスト構造主義が、流行として、知識人他にもてはやされた時期、またその後、見捨てられた時期は、バブル時代とポストバブル時代にそれぞれ重なりそうです。結局、ポストモダンの問題が、真の理論/現実的問題として考えられたのではなくて、上っ面で、あるいは生半可に捉えられていたのだと思います。私自身、不連続性という核になる視点がなければ、ポストモダン理論は、漠然としていたままであり、連続性と不連続性の間で揺れ動いていたことでしょう。結局、この問題は、いわば本当の、真の、つまり、あらゆる領域、分野に関わる問題であり、理論と現実両方が、直面していた/いる問題だと思います。不連続的差異論は、この問題の理論的正解であり、現実としては、ホリエモンの直観ないし天才的な経営的資質によって突破されつつあるのだと思います(ポストモダン的経営)。ホリエモンへの誹謗中傷、貶め、侮蔑・侮辱等々たくさんありますが、彼は新時代の試金石です。彼は、自己の行っていることを、簡単に「お金儲け」と言っていますが、それは、少し違うでしょう。やはり、不連続的差異論的に社会的他者的経済を指向しています。彼のインタビューを引用します。


インタビュアー:すると、今回の買収劇には、単なるお金儲けではなく、日本の経済や政治を含めた社会に一石を投じたいという思いもあったのですか。
堀江:いや、お金儲けです。あくまでもライブドアの株主を儲けさせたいから。そこに誤解があると思うんですけど、なんで私が一石を投じなきゃいけないのか。質問の意味がわからない。私に奉仕の精神を求めているんですか。
インタビュアー:あるいは、一石を投じることが面白いから、という感じもするのですが。
堀江:少なくとも名誉とか奉仕欲ではありません。「因果応報」「情けは人のためならず」、まさにこれです。
インタビュアー:もう少し説明してください。
堀江:究極的に言うと、私は自分が楽しく生きたいんですね。世間的な、俗な意味でいえば、金にも権力にも名誉にも実は全然興味がない。だって、もうすべて手に入れちゃったから。これ以上何があるんだ、というくらい。 
 私個人がこれ以上お金を持ってもしょうがないんです。お金を使うのって大変ですよ。面倒くさいんです。人にはたかられるし(笑)。自分が満足に生きるためには、自分だけが得して王様みたいになっても意味がない。人間というのは関係性のなかでしか生きられない動物ですから、やっぱり世の中が良くなって、周りの人たちも幸せになってくれないと嫌なんですよ。社会の景気も良くなってくれないと困る。みんなが幸せに生きられる社会の仕組みを作るために何をしたらいいのかを、毎日、頭が痛くなるほど考えているんです。考えてるけど、結局それは自分が楽しくやりたいから。べつに奉仕なんかしたくはありません。」『平成ホリエモン事件インタビュー 牙を抜かれた経営者は去れ:日本の経営者は、経営なんてやってないんです』(文藝春秋 2005年5月号 p.124)


そう、不連続的差異的資本経済と呼べるでしょう。