連続的同一性資本と不連続的差異資本:資本の創造的未来へ向けて

今は余裕がないので、論点だけを簡単に述べたい。  
 連続的同一性資本と不連続的差異資本のどちらが、効率的であり、創造的であり、あるいは平和的等であるかという論点・問題である。抽象的なので、簡単に説明すると、たとえば、株の持ち合いのような連続化した資本と、個々の株が不連続化した資本において、どちらがそうなのかということである。あるいは、政官財の癒着という連続化と政/官/財の自立化という不連続化とのどちらがである。これはほぼ自明の問題であろう。結局、資本の創造的飛躍のためには、資本の不連続化・不連続的差異化が必要であるということである。そうでないと、差異である創造の芽を活用することができなくなり、産業は停滞・衰退することになるからである。そして、今、日本は小泉/竹中アメリカ依存政権によって、衰滅の状況に陥っているのである。(また、ライブドア/フジの闘争の意味はここにある。)結局、私見では、資本の創造的発展のためには、連続的同一性化を打破して、不連続的差異化する必要が絶対にあるということである。今や世界の最先端・フロンティアは、不連続的差異路線である。そして、これは、ポスト近代路線であり、ポスト父権制であり、また人類進化革命である。地獄の黙示録として、旧日本エクソダスとして、救世主として、不連続的差異論による資本経済文化創造の未来が出現したのである。