不連続的差異論と全人類平和共命グローカル・コミュニティズム

[叡智学] 不連続的差異論と全人類平和共命グローカルコミュニティズム

不連続的差異論とは、少なくとも数千年間人類の叡知が探求してきた全人類的な理論の集大成であり、全人類的な、自然・宇宙的な平和共存のための理論である。自然、社会、人文科学等の超統一実践理論である。あらゆるものの、一切合切の超統一実践理論であり、森羅万象を包摂した万物平和新生のための実践理論である。いわば、最勝超至高の万物救済理論である。宗教も、科学も、哲学も、芸術も、経済も、社会も、政治も、その他も超統一的に包摂されているのであり、正にこれこそ真のアポカリプスであろう。隠されていた存在の秘密があらわになったのである。新たな人類史又はポスト人類史が始まるのである。超叡智の到来である。

http://www.labornetjp.org/
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/


[叡智学] 密教デリダと不連続的差異論

不連続的差異論とデリダ密教は相互に通じるのではないか。密教(『知の教科書 密教』正木晃著 講談社選書メチエ)に関する検討は、別の記事で行うが、ここで、簡単に言及すると、胎蔵曼荼羅とは、イデア界の強度を指し、金剛曼荼羅とは、イデア界の智を指しているのではないか。そして、強度と智で、両界曼荼羅空海)となるのではないか。これは、「縄文」的多神教哲学の大乗仏教的完成態ではないか。仏教的不連続的差異論ではないか。「縄文」多神教大乗仏教との幸福な結合があるのではないか。神仏混淆というよりは、神仏一体化である。思うに、これは、古代ギリシアにおける、プラトンらも参入したと言われるエレウシスの秘儀(イシスの秘儀)と平行するのではないか。しかし、この理論が、日本では、権威・権力化されて、民衆には隠されていたのではないか。あるいは、ギリシア哲学のような合理・整合性を獲得しないままであったのではないか。とまれ、不連続的差異論とは、内在・伝統的に日本・東アジア文化にその原型があったと考えられるし、また、外在的に、西洋文明化された現代日本において導入された、西洋形而上学を超克せんとするドゥルーズデリダ等の理論にもその原型があったと言えよう。内在且つ外在的に、不連続的差異論が生まれる理論的条件があり、また、政治・経済・社会・文化的条件(とりわけ、グローバリゼーション)があったのであり、また、ブログという不連続的差異的な「空間」というメディア的条件もあった言えよう。ブログとは、イデア界のある種の顕現と言えるだろう。

以上は、以下の記事からの部分の引用である。
http://blog.melma.com/00122700/20050122140441


[叡智学] ヨハネ黙示録の彼方へ:ハルマゲドンを超えて

「西洋/父権戦争文明の超克:新多神教平和グローカル・コミュニティズム」

平和と戦争の問題であるが、これは、「人類史」的に見る必要があると思う。今は余裕がないので、簡略して述べるが、人類が好戦的になったのは、やはり母権制から父権制に変化した時からだと、概ね言えるのではないか。これは、インド・ヨーロッパ語族セム語族の移動と関係しよう。紀元前数千年(五千年以上?)にこの移動が起こり、土着の母権制が破壊されたと言えよう。その典型的記録の文学的表現が、『ギルガメシュ叙事詩』であると言えよう。父権的都市文明の勃興である。自然破壊/戦争文明の誕生である。西洋文明・キリスト教的資本主義はこの最終的帰結と言えよう。ある意味で、ブッシュ・アメリカが世界最終戦争をおこし、衰亡するのだろう。未来は、ポスト父権制母権制にあるだろう。基本的には女性の方が、平和主義的である。男性は争いを好むのである。また、戦争を望むのは、権力者であり、民衆ではない。権力者は、覇権、自己利益のため、民衆の不満やルサンチマンを利用して、戦争へと民衆を扇動し駆り立てるのである。窮乏等による民衆の欲求不満やルサンチマンの吐け口に、大義名分(自由な、民主主義的な社会云々)という偽装をもった、権力者のための戦争が仕掛けられるのである。民衆は賢くないといけない。民衆の平和叡智がたとえば、ラスキンの経済論にあるだろう。

http://cruel.org/econthought/profiles/ruskin.html
http://hotwired.goo.ne.jp/ecowire/hoshikawa/index.html
http://www1.seaple.icc.ne.jp/nogami/epih3.htm
http://www.google.co.jp/search?q=cache:U5IK33_IBYAJ:www.bun.kyoto-u.ac.jp/christ/asia/journals/02park.pdf+%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%80%80%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%90%8D%E8%91%97&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
http://www.jungle.or.jp/hvs/hvs64/hvs64t4.htm
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http://www.takiji-library.jp/takiji/clipping/19270227_6.html
http://www.lib.pref.yamagata.jp/kenjin/ohkuma.html
http://www.google.co.jp/search?q=cache:xex1cB_xwzgJ:www.ufji.co.jp/artspolicy/newsletter/arts_nl/no10/10-6.pdf+%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%80%80%E7%B5%8C%E6%B8%88&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/462105001X/250-2665998-1257865
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000246194/250-2665998-1257865
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%83W%83%87%83%93%81E%83%89%83X%83L%83%93/list.html
http://www.tdu-net.co.jp/ceic/topi1.htm
http://www.google.co.jp/search?q=cache:gLe89Lhqbi8J:www.jpf.go.jp/j/info_j/creative/pdf/proposal_02.pdf+%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%80%80%E7%B5%8C%E6%B8%88&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
http://www.saitama-u.ac.jp/koho/intro/keyaki/2002-3/keyaki_06/kenkyu/01.html
http://www.geocities.jp/grassharp2004/culture/plan.html
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http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/WilliamsRaymond001.htm
http://www.meijitosho.co.jp/kensaku/bango.asp?bango=9508
http://www.library.metro.tokyo.jp/03/0162.html

p.s. 男子が女子よりも、好戦的なのは、脳の構造にも因るが、男子の方が、女子よりも、強度が弱いからであると考えられる。女子の方が、男子よりも、イデア界に近いのである。というか、女子はイデア界に接触して生きていると思う。男子は、左脳中心で、反動暴力的なのである。おそらく、アジアの女子が、そして、世界の女子が、新しい平和世界の主導権をもつだろう。日本女子の大奮起を期待するものである。

p.p.s. 世界平和連合コミュニティへ向けて。

3p.s. 「日本」は、照葉樹林縄文文化という母権制新石器時代)が、世界的に見て稀有に長く(約一万年)続いたのである。東アジア人には、この母権的平和文化の遺伝子が、潜在存続しているはずである。そして、今や多神教母権制遺伝子が目覚めるときとなったと言えよう。