「不連続的差異論とその他」「西洋的個人主義と東洋的共存主義」「ス

[備忘録][経済] 不連続的差異論とその他

http://www.google.co.jp/search?q=cache:GFwBjmjF_zEJ:www.21ppi.org/japanese/thesis/200112/p14_22.pdf+%E4%B8%8D%E9%80%A3%E7%B6%9A%E7%9A%84%E5%B7%AE%E7%95%B0%E8%AB%96&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/Elib/H31-2/004/001.html
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差異共存体経済と、シュムペーターの新結合http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004302730/250-1035841-4098640
http://www.yokohama-mot.jp/takeda-seminar/resume/02.04.18masui01.htm
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http://www.google.co.jp/search?q=cache:osCu7_kukzwJ:www.juno.dti.ne.jp/~fito/shumpeter.htm+%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E7%B5%8C%E6%B8%88%E7%99%BA%E5%B1%95%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96+%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%80%80%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
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http://book.keizaireport.com/asin/449237079X.html
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%83%88%83%5B%83t%81E%83A%83%8D%83C%83X%81E%83V%83%85%83%93%83y%81%7C%83%5E%81%7C/list.html
http://www.cypress.ne.jp/kobakoba/economics/lecture_note/e_intern/asia.htm
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シューマッハー経済学
http://www2.ocn.ne.jp/~ozeki/p6.html
http://www2.ocn.ne.jp/~ozeki/p0.html


[叡智学][備忘録] 不連続的差異論とパース哲学

http://www.iwanami.co.jp/shiso/0951/kotoba.html

[叡智学] 西洋的個人主義と東洋的集合主義

 これは、ステレオタイプなものの見方ではあるし、オリエンタリズム的でもある。しかし、それを承知の上でなお、これをベースに考察したい。これまで、キリスト教批判を行い、イスラーム教を肯定的に捉えてきた。その根拠は、反動暴力的であるか、肯定能動的であるか、あるいは、差異共存性があるかどうかである。超越的一神教と内在的一神教の質的相違を私は考えた。
 さて、西洋の個人主義を考えると、それは、排他的個人主義である。自己中心的個人主義である。しかし、東洋は、個人主義であっても、共存性を帯びている。(もっとも、現代日本はこれが失せているが。)これは、宗教的に説明できるだろう。超越的一神教は当然、超越的自我が形成されやすく、排他的になるだろう。しかるに、内在的一神教ないし内在的多神教の場合は、差異共存的なのである。
 ということで、未来は東洋型にあるだろう。だから、東洋的差異共存主義である。しかし、日本人はアメリカに操縦されて、主体性を喪失しているだろう。東洋人、アジア人であることを忘却している。非常に、小共同体的に、ナショナリズム的村共同体になっていて、閉鎖的である。個における特異性を肯定しないと脱出口がないだろう。閉塞牢獄である。

p.s. たぶん、現代日本は、いわば、アメリカ=天皇制型小共同体国家であろう。

p.p.s. 実際のところ、西洋の中に東洋はあるし、東洋のなかにも当然西洋はあるのである。ただ、考察上、二分化したのであるから、これを二項対立、二元論にとるのは完全に誤りであり、偏見的である。

3p.s. つまり、二つの原理と考えればいいだろう。一つは、父権的個人主義=排他的個人主義と、一つは母権的差異共存主義である。

4p.s. 私はイスラーム教が月をシンボル・ロゴにするのを、不思議に思っていた。しかし、実は、アッラーとは、母なのではないか。女神ではないのか。いわば聖母マリア、イシス等が、アッラーに変身しているのではないかと想像する。つまり、古代的母権的宗教が父権化したように思う。この問題は後で検討しよう。


[総合] スマトラ島沖巨大地震関連

http://www.nindja.com/
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http://www.thejakartapost.com/headlines.asp
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http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20041229k0000m030061000c.html
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[総合] 血液型性格判断占星術、手相占い等々

これらは、科学にはならないだろう。科学はもっと精密な、誤差のほとんどない知を求めるからだ。しかし、それらは、かなりの誤差をともなうものの、当たる確率は低くはないだろう。おそらく、基盤には多様な原分節がある。それらの組み合わせで、いわば性格や気質が形成されるのだろう。だから、A型だからと言って、思いやりがあるとは限らない。B型だからと言って、自己中心主義とは限らない。多様な要素が混在しているのである。それを血液型とか、星座とか、なんとかで限定するのは誤りだ。はっきり、私の意見を言えば、それらは、いわば特異個体である人それぞれのある種のパターンを形成するが、本体を形成してはいないということだと思う。一人ひとりには、差異・エッセンス・イデアがあるのであり、それが、その人の原基であり、その現れに、パターンが関与するだけだと思う。だから、ほんとうは、各人の根源の差異・イデア・エッセンスを捉えなくてはならないのである。パターン、型とは、単なる各人の本体の表現のための手段に過ぎないのである。