父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を

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父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す


テーマ:哲学:叡知学、哲理学、哲科学


父権文明は暴力文明(戦争文明)であるが、その構造、精神構造、心的構造を、改めて解明したい。
 今日、父権主義は、日本では、女性、比較的若い女性に見られる。二項対立精神である。平俗に言えば、○×精神である。正誤・正邪精神である。
 それも、「私」は正しく、他者は間違っているというものである。
(女性の場合、シュタイナー的に言えば、アストラル体(感情・欲望身体)、私の用語では、感性体が主導的なので、男性よりも、二項対立が酷烈になるのであるが、それは、ここではおいて置こう。)
 不連続的差異論の段階に戻ると、私は連続的同一性という概念を立てた。これは、陽自我が陰他者に対して行なう内的行為(精神行為)である。
 つまり、自我が他者の不連続(非連続)的差異を否定して、同一性化するのである。そう、この連続的同一性化が端的に精神暴力である。
 これは、端的に傲慢であるが、それが当然となるのは、他者に対する感性、つまり、ココロが欠落している、あるいは、排除、埋没しているからである。
 そう、これは、当然、野蛮な精神である。しかし、これが、現代の一般的な日本人の精神なのである。
 他者性の欠落、ココロの排除、道徳・倫理・仁倫・倫道の欠落はどこから生じたのか。
 簡単に言えば、父権精神からであるが、もっと木目細かく見よう。
 そう、これは、精神の病と関係するのである。(シュタイナーは精神病という言葉を嫌悪していた。精神は本来、病気にはならず、身体が病気になるというようなことを説いていた。確かに、身体が故障していると、精神が異常になることは考えられる。今は、いちおう、精神の病ということを考えたい。)
 さて、以上は既述のことであり、新たに、精神暴力の力動・情動、あるいは衝動の根因について考察を行ないたい。
 精神暴力の力動・情動・衝動の根因は、自我・陽にあるのか、それとも感性体・陰にあるのか、それとも、両者癒着状態にあるのか。
 陽自我は、陰他者を支配しようとする。何故か。
 それは、陽自我にとって、陰他者は、異物であり、「気に入らない」ものだからである。
 「わたし」として、陰他者を支配したいのである。
 問題は情動精神力学である。(情氣という言葉を造語してもいいだろう。衝氣という言葉もありえるだろう。)
 陽自我に情動性があるのか?
 情動は陰である感性体にあると見るのが本来である。
 すると、陽自我の暴力の様態とは何なのか。
そう、暴力様態の問題である。
 いったい、陽自我の様態とは何なのか。
 「わたし」の様態とは何か。
 やはり、「わたし」の感情はあるのである。それは、陽における陰である。
 陽の陰が、陰他者に反発するのである。


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 だから、陽の陰に暴力情動があると言えよう。
 そう、陽自我とは陽的陰と結合しているのであり、自我情動をもつのである。
 そして、この自我情動性が陽自我暴力力動の正体・本体と言えよう。
 そして、自我意識は、この自我情動暴力に対して、無意識であるのが、陽自我の精神暴力の根因であると言えよう。
 これで、陽自我精神暴力のメカニズムを解明したと言えよう。
 一大問題は、この陽自我精神暴力をコントロールする精神文化、叡知の存在である。
 現代日本では、あるいは、現代世界では消失しているのである。
 有り体に言えば、ココロの文化の消失である。原因は当然、唯物科学のせいである。技術ではない。技術は、ココロに関係すると思われる。
 では、ココロ文化の消失のメカニズムは何なのか。
 結局、陰他者の認知の有無の問題である。(うつ病と言われる症状はこれと関係すると見ている。)
 陽自我は基本的に独一性をもっている。
 つまり、自己中心性である。「私は絶対的一(いつ)である」ということ視点である。言い換えると、「唯一神」性である。
 だから、他者、陰他者に対しては、否定的に対応するのである。他者を排除、強く言えば、消滅、殲滅、殺戮したくてしょうがないのである。
 他者は居て欲しくないのである。死ねである。
 つまり、陽自我は本質的に殺気をもっているのである。
 そして、この殺気の対象の他者であるが、当然、陽自我の対極、対蹠的存在が対象となるのである。
 そう、陰他者である。(ユダヤキリスト教的父権文明である西洋文明にとっては、東洋文明、母権文明である。)
 結局、自我の精神暴力の対象は陰他者である。これが憎悪・嫌悪・破壊の対象なのである。
 日本父権民族は日本母権民族を嫌悪・憎悪・嫌忌し、殲滅・消滅・殺戮したいのである。