思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エ

図像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11802017238.html


思いつき:天地軸は物質軸?:虚軸=陰陽イデア情報、実軸=時間(エネルギー)、天地軸=身体軸


テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1:実軸は時間軸:+1が氣、−1が物質エネルギーという作業仮説
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11800193591.html


先の以上の私見は思いつきであり、暫定的に過ぎない。
 今日、森の一角の屹立する杉木立のいつもの思索の場で想像したのは、天地軸は物質軸であり、それが、陰陽情報時間エネルギーに物質的様態を与えるのではないかということである。
 ガウス平面の虚軸の陰陽イデア情報(形態情報も含む)と実軸の時間エネルギーが原点(MP:メディア・ポイント:言うならば、虚穴、虚孔)において、天地軸を基軸として、螺旋に現象すると考えるが、そのとき、陰陽イデアと時間エネルギーに物質形状、物質様態、あるいは、身体を与えるのは、天地軸の成分のように思えたのである。
 だから、天地軸を物質軸あるいは身体軸と呼べるのではないだろうか。あるいは、アリストテレス哲学で言うと、質料になるだろう。
 言わば、イデア・エネルギーに物質を付着させるのである。
 しかし、そのメカニズムは微妙と思われる。
 陰陽イデア情報(あるいは、自然情報、生命情報、有機体情報)に従って、物質身体化するのであるが、そのとき、情報自体が物質化すると同時に、情報自体は物質化自体とは別に存していると思われる。つまり、即非の関係がそこにはあると思われる。
 即ち、陰陽生命情報・即非・生命物質現象ということである。簡単に言えば、氣・即非・身体である。
 つまり、氣は身体に存すると同時に存しないという矛盾論理にあるのである。あるいは、氣は内在的であると同時に、超越的であるということになるのである。
 そして、身体であるが、それは、氣の物質的様態であるが、物質的エントロピーをもつと思われる。それ故に、死滅すると考えられるのである。
 氣自体は、超越的氣自体はおそらく、不滅である。しかし、氣の物質的様態である身体は死滅する。
 霊学的に言えば、氣が霊であり、身体が物質である。
 今はここで留める。

参照:以下の三次元直交座標のx軸を実軸、y軸を虚軸、z軸を天地軸に見られたい。x軸=時間軸、y軸=陰陽軸、x軸=現象軸である。x軸とy軸でガウス平面を形成するが、それらは内在超越平面で不可視である。原点(MP:メディア・ポイント)から三次元空間が発現する。しかし、生命現象はz軸を基軸として、螺旋を描くと見る。




追記:天地軸を物質軸、身体軸、ないし、質料軸とした場合、それは、先に述べたように、実軸(±1)である時間の一種の次元転換されたものに思える。
 先には、−1を物質エネルギー、+1を氣としたが、それは、破棄する。つまり、物質エネルギーは当然、天地軸(これは、思うに、仮象軸とも言えるのであり、簡単に、仮軸と呼べよう。あるいは、現象軸、現軸と呼べよう。あるいは、身体軸、身軸、体軸である。)であり、氣は陰陽である虚軸に存するとするのである。
 では、問題は、実軸=時間軸の−1と+1は何を意味するのかということである。
 負の時間と正の時間? 森の中の思索では、それらは、電磁気の極性であった。
 でも、現時点では、時間の方がいい。
 思うに、−1は未来から来る時間で、+1は過去から来る時間だろうか。
 そうならば、極性的時間が共振して、自然現象が発生するということになる。
 この問題はおいておく。

追記2:今閃いたことだが、+1は生の時間で、−1が死の時間ではないだろうか。あるいは、それぞれ、生エネルギーと死エネルギーである。フロイト的に言えば、エロスとタナトスである。
 生命体において、初め、+1の生時間エネルギーが作用し、そのエネルギーが衰滅すると、−1の死時間エネルギーが発動するようになるのではないだろうか。言わば、時間エネルギー保存の法則である。
 言い換えると、構築と脱構築の関係となろう。わかりやすく言うと、生と死のリズムである。これは、わかりやすいだろう。一日においても、このリズムがあるだろう。昼と夜のリズムである。
 今はここで留める。
 
参照2:
映画THRIVEのアップルの形態が参考になる。即ち、以下の画像であるが、渦巻がガウス平面=陰陽平面=渦巻平面に当たり、そして、渦巻の中心から垂直に伸びる柱のようなものが天地軸であり、そして、それに絡まるような螺旋が自然・生命・有機体現象と見たい。)

参考図:映画THRIVEの宇宙を表わすアップル像
 
resurrectionのブログ

参照3:

参考:以下、『海舌』氏のガウス平面を使用した人間認識図を提示する。ただし、実軸の捉え方は今の時点とは異なっている。

      『海舌』氏の人間認識図(要大修正)

(要注意:
1)虚軸の陽凸を光、陰凹を闇とするのは、間違いであり、前者は陽凸i⇒陽自我【知性】とし、後者を陰凹i⇒陰自我【感性】とする。(追記:これは、現時点(2014年3月20日)において、私の間違いであり、『海舌』氏の視点は正しい。)

2)実軸+1=存在・現存在、実軸−1=超越的存在とするのも誤りで、+1と−1を電極、磁極の極性と見る。

3)記述されている象限の見方も誤りとし、新しい視点では、第一象限は理性、哲学、第二象限は科学、知性、第三象限は生活、第四象限は直観・直感、芸術、のそれぞれの領域・圏と見る【暫定的である】。

4)原点をMP【Media Point:メディア・ポイント】とするが、虚軸上の原点をMP1、実軸の原点をMP2とする。そして、極めて重要なことは、MP1とMP2が不連続・非連続であることである。MP1⇒MP2はあるが、逆、MP2⇒MP1は成立しない。だから、先に、陰陽方程式を陰凹i*陽凸i⇔±1にしたのは誤りであり、訂正する。陰陽調和心は原点、即ち、MP1に存する。そして、それは、MP2を派生するだろう。D. H. ロレンスのセクシュアリティはこのMP1とMP2の連結にあるだろう。

5)これは、作業仮説的であるが、植物の氣は当然、虚軸に存するのであり、これは、動物にも存するが、動物的身体は、実軸が主導的だと思う。それに対して、植物的身体は虚軸が主導的だと思う。つまり、植物は氣が主導的であり、動物は物質が主導的である。言い換えると、植物と動物、当然、両者、氣的身体【ガウス平面の虚軸と実軸の十字架】をもつが、前者は虚軸の氣が主導的で、後者は実軸の物質性が主導的である。ただし、人類は動物から植物へと進化の過程にあると見る。)

 今思いついたが、(もっとも、以前考えたことだが、)+1と−1を物質的極性と見ることである。つまり、磁界や電界の極性である。つまり、NとS、プラスとマイナスである。
 電子で言えば、+1が陽電子であり、マイナスが陰電子である。磁界で言えば、+1がN極であり、−1がS極である。
 電磁波は両者を合わせればいいだろう。つまり、+1と−1は電磁波を表わすということである。とまれ、実軸が物質軸であるというは納得しやすいだろう。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html?frm_src=thumb_module