霊魂の不滅説:「御冥福を」とは、文字通りとれば、冥土・冥界で生き

霊魂の不滅説:「御冥福を」とは、文字通りとれば、冥土・冥界で生きるということだ:死んで生きる?


テーマ:宗教・神話・社会・歴史


PS陰陽論は唯氣論となっているが、思うに、寝ている間、あるいは、死んだとき、「わたし」はどうなるのか?
 陰陽方程式陰凹i*陽凸i⇒±1において、−1が自我(連続陰陽我)で、+1が陰陽調和心の身体化(思うに、心臓ではないだろうか)である。
 寝るときは、陰陽我である自我は、身体から抜けるだろう。つまり、±1から抜ける。一種、幽体離脱状態であろう。
 それは、陰凹i*陽凸iに帰還しているのではないだろうか。
 考えると、寝る、眠るとは不思議な事象である。
 陰凹i*陽凸iに回帰するとは、一(いつ)の氣に回帰すると考えられる。
 ところで、自我を陽我凸i(正確には、極大的凸i)と陰我(同様に、極大的凹i)の二重のものとしているが、目覚めているときは、つまり、現象界、物質現象界=「現実」界にいるときは、自我は、陰陽方程式凹i*凸i⇒±1の±1に重なっているだろう。
 より正確に言えば、自我は、−1だろう。思うに、陽我主導的では、−1になるだろう。しかし、陰我主導的な場合は、微妙である。思うに、−1と+1の未分化様態のように、思える。これについては、要検討にしておく。
 とまれ、現象界の自我ないし自己は、±1に位置するのであり、睡眠している場合は、陽我と陰我と陰陽調和心は、±1から離脱して(幽体離脱?)、凹i*凸iの様態、さらには、一の氣の様態に移動しているのではないだろうか。
 そう、一の氣を全一氣とも言えよう。だから、睡眠時、自我、自己ないし個は、一の氣=全一氣に帰還しているということになる。
 思うに、一の氣=全一氣とはあの世ではないだろうか。死後の世界ではないだろうか。あるいは、霊界である。
 ここで、想起するのは、太極と一の氣の世界(太一界と呼べよう)の相違である。
 太極は陰陽未分化の原初の世界、混沌の世界であった。しかし、そこから、一の氣(太一界)=陰陽氣の世界が生まれるのである。
 そのように見ると、自我、自己、ないし個とは、不滅であることがわかるだろう。プラトンが説いた、霊魂の不滅は正しいと思うのである。

 
参考:

1.
プラトンの不死説とギリシャ人の霊魂観 - 知の快楽 - 東京を描く
philosophy.hix05.com/Plato/plato07.spirit.html

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2.
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matsuura05.exblog.jp/298487/

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3. [PDF]
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