有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11712291592.html
また、以下も見られたい。
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2043.html


有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る生命ー物質双体様態の有氣体


テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ


岩、磐座、鉱物の解明でつまづいているが、今、作業仮説的に、物質を二つにわける。それは、有氣体(有氣物質)と無氣体(純物質、無氣物質)である。
 岩、磐座、鉱物はそうすると、実は、前者に属するのである。それは、氣をもっているのである。
 すると、氣を生命力としたこれまでの考えを訂正する必要がある。氣は原生命力であるが、生命力自体ではないとするのである。氣から生命力は生まれるとするのである。


    『海舌』氏による人間認識図(要大修正)

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory


 思うに、有氣体とは、上図で言えば、円全体である。右半円が氣的様態であり、左半円が物質的様態と思える。
 しかし、両者は原点、中心点で結合しているのである。以前は、MP(メディア・ポイント)と呼んだ点である。
 それは、氣と物質の紐帯である。臍の緒である。
(しかし、ここに作図されていないのが、陰陽円、超越円である。それは、この円に直交するような虚軸を直径とするような円である。そこで、いわば、イデア界となるだろう。そう、無双太極界である。だから、陰陽円というよりは、陰陽未分化円と呼ぶ方が正確である。これについては、別に述べたい。)
 説明すると、陰主導の陰陽共鳴によって陰凹i*陽凸i⇒+1の氣様態が生成する。同時生起的に、陽主導の陰陽共鳴によって陽凸i*陰凹i⇒−1の物質様態が生成する。
 つまり、陰陽共鳴は同時生起的に、氣様態と物質様態を生成すると考えるのである。当然、前者は不可視様態である。後者が可視様態である。
 重要な点は両者が同時生起であるばかりでなく、両者、一体となっている点である。(思うに、空海の卓抜な両界曼荼羅であるが、それは、この氣様態と物質様態の同時生起的一体を指しているのではないだろうか。ならば、両氣物体と言えるかもしれない。)
 そう、結局、陰陽共鳴が成形する双つの様相・様態である。それを、双体性、あるいは、両体性と仮に呼ぶ。つまり、有氣体とは、双体性、両体性をもっているということである。
 そして、岩、磐座、鉱物は有氣体であり、双体性、両体性をもっているということになる。
 では、そうしたとき、通常の生命体はどう説明できるのか。
 当然、それは、有氣体である。しかし、鉱物との違いはどう説明できるのか。
 今、気付いたが、上記の説明を修正する必要がある。
 陰凹i*陽凸i⇒+1は氣様態ではなく、生命様態と修正する必要がある。
 考えてみれば、陰陽共鳴は当然、氣(一の氣)に基づくものであるから、それから、氣様態が生成するというのは矛盾である。
 故に、陰陽共鳴の双体性・両体性とは、生命様態と物質様態の両面を意味することになる。
 さて、生命体の問題に戻る。
 ここでさらに作業仮説であるが、岩、磐座、鉱物であるが、それは、陰陽共鳴でも、陽優勢、陽優先、陽主導の双体・両体ではないだろうか。つまり、おそらく、岩、磐座、鉱物には、生命様態があるのであるが、それは、いわば、潜在態になっているのである。つまり、おそらく、完全に陽主導になって物質体になっているのである。勿論、氣はあるが、生命は潜在態となっているということである。
 それに対して、植物、動物、人間物の生命体(思うに、細菌等も含めていいだろう)であるが、それは、陰陽共鳴において、陽優先を乗り越えて、陰主導が賦活されているのである。
 故に、生命様態が成形されているということになるのである。
 この生命様態こそ、生命体の本質、本体である。しかしながら、現象的には、物質体(左半円)が発現するということなるのである。右半円の生命様態は、氣自体と同様に、不可視であるということになるのである。
 ただし、螺旋形状の「イデア」あるいは「エイドス」は生命様態に存すると思われる。ゲーテを言う原植物とは、ここに存することになる。
 そう、プラトンイデアの一つはここに存するだろう。(プラトンイデアはどうも少なくとも二種類に分けられる。根本の無双太極と氣における生命様態である。これは、別に検討したい。)
 ここで、有氣体の変遷を簡単に図式化する。

無双太極⇒氣⇒陰陽共鳴(双体性)⇒鉱物(陽主導)⇒植物(陰陽調和)⇒動物(陽主導)⇒人間物(陰陽調和と陽極大と陰極大)

である。
 簡単に説明すれば、氣に基づく陰陽共鳴(陰陽対極性・両極性)が最初は陽に傾斜して、鉱物を産出し、次に、陰陽調和によって植物(細菌等はおいておく)を産出し、次に、再び、陽に傾斜して、動物(下等動物と上等動物の力学の違いを説明すべきであるが、おいておく)を産出し、その後、再び、陰陽調和がもたらされ、人間物(母権人間物)が産出されるが、次に、極陽としての自我、極陰としての魂が産出される。前者が悪霊アーリマン、後者が悪霊ルシファーである。とまれ、それは父権人間物に関係すると思われる。
 とまれ、以上で、岩、磐座、鉱物について解明し、これまでの齟齬の解消を試論した。


追記:以上のように考えると、地球はどう説明されるだろうか。
 それは、太陽とともに生命体を育む物質体であるが、それは、当然、岩・磐座・鉱物的存在である。だから、それは、有氣体である。そう、多様複合的有氣体としての地球である。地球自体、生命体とは別に、氣、それも、きわめて、複雑多様な氣を内包しているのである。
 D.H.ロレンスが地霊(spirit of place)について頻繁に言及するが、それは、この地球の氣のことと言えよう。それは、実に多様複雑と言えよう。
 そう、氣の叡知では、龍脈を説くが、それも地球の氣を意味すると考えられよう。そう、地球は地氣湧である。
 ここで、氣、地球の氣と磁気、地磁気の関係が問題になる。
 しかし、これは、直観では当然、別物である。近いとは言え、異質である。
 今は、漠然と言うが、磁気は−1や+1の実数と関係すると思う。一見陰陽対極性と関係するように思われるかもしれないが。
 否、陰陽共鳴の物質化で説明がつくかもしれない。
 思うに、陰陽共鳴の陽主導による物質化であるが、それは、連続化と言えると思う。つまり、陰陽を連続化し、氣=陰陽を物質化するのである。このとき、物質は物質的極性を獲得するのではないだろうか。つまり、磁気であり、電気力である。(単性磁力の問題はここではおいておく。)
 つまり、本来、氣=陰陽対極性は、牽引と反発の矛盾力をもっているが、陽主導の連続化によって、反発が消えて、牽引だけでになると考えられる。故に、物質的極性が形成されると考えられるのである。つまり、磁気ならば、NとSは牽引するのであり、反発はしないのである。


追記2:タイトルの一部の無氣体(純物質)については言及していないので、少し補足する。
 当然、氣のない物質である。それは、上記から、陰陽共鳴の氣エネルゲイア(エネルギーというより、アリストテレスの用語エネルゲイアの方が内包性が多いので、使用する)から鉱物や生命体を含めた有氣体が成形されるが、その後、氣エネルゲイアの枯渇したとき、有氣体は生成性を喪失して、帰結として、−1の純物質、即ち、無氣体になると考えられる。
 ならば、+1は何か。生命体の帰結である+1とは。
 直観では、種子だと思う。遺伝子の包摂された種子だと思う。では、動物はどうなのか。卵子? 精子? 
 確かに言えるのは、遺伝子である。これは、卵子精子ということではなく、全体として、遺伝子であろう。
 とまれ、要検討である。

 
参照:陰陽方程式に関しては、以下を参照されたい。
オイラーの公式とマイナスの実部:自我と物質の結びつき
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11687938079.html


自己(個)陰陽方程式:自我は陽凸iであり、非我(無私・愛)は陰凹iである:オイラーの公式
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11686282196.html