『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽

画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=364


『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽凸i=自我・頭、陰凹i=魂・肚


テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化


         『海舌』氏による人間認識図


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory


上図は、PS理論に基づく『海舌』氏による人間認識図であり、これは、『海舌』氏独自のものである。私自身はこの作成に関わっていない。
 今、さらに、無双太極PS陰陽論(以下、PS陰陽論)の見地から検討したい。
 以下変更点を箇条書きにする。


1)左右を逆にして、入れ替える。即ち、第二象限が自我物質界であり、第三象限が陰謀の世界である。
 第一象限と第四象限はおいておく。

2)虚軸の凸=i=光であるが、それは、光ではなく、陽ないし陽極とし、同様に、凹=−i=闇を陰ないし陰極とする。
それぞれ、凸i、凹iとする。

3)実軸+1を存在、現存在ではなく、天、実軸−1を超越的存在ではなく、地とする。

4)植物的生命体(以下、植物体)は、⇒+1の方向性をもち、動物的生命体(動物体)は−1⇐の方向性をもつこととする。

5)人体は植物体⇒+1と動物体−1⇐の両面をもち、前者が主導的であると仮説する。

6)氣は一体としては、円である。しかし、陰陽調和、つまり、植物体を形成する氣としては、⇒と思われる。

7)日光であるが、それは、わかりにくいが、⇒と+1の中間ないし、⇒の先端に位置するのではないだろうか。そう、今の段階では、日光と太陽を一致させておく。

8)自我は凸i陽であり、魂は凹i陰である。そして、心情は原点、MPである。

9)氣的エネルギーによる形状、例えば、螺旋形状は、⇒+1を軸として成形されるだろう。


追記:1で残しておいた、第一象限と第四象限について簡単に触れたい。
 知性や科学の位置がわからなかったのである。思うに、人体(人心体)において、植物体と動物体が重なっているのであるから、⇒±1の二重性があるのである。
 そして、自我は陽凸iである。だから、これが、⇒±1の二重性に関わって、知性や科学が形成されると思われるのである。
 しかし、自然界は⇒+1のように思えるのである。しかし、そうならば、−1⇐の動物体はどうなるのか、である。動物体も当然、自然界であるからである。
 端的に言えば、知性の原形は⇒+1に存すると思う。そして、知性行為は−1⇐のように思える。
 つまり、知性行為とは自我優位の行為である。だから、−1⇐になるのである。頭脳行為である。しかし、知性行為のベースには、知性の原形がなくてはならないと思う。それが、⇒+1である。
 どうも、間違っているかもしれない。⇒+1の陰陽調和様態は理性を意味するのではないだろうか。そして、−1⇐の自我優位陰陽様態が知性かもしれない。
 ならば、陽凸iがカントの超越論形式、悟性・知性かもしれない。そして、−1が純物質であり、+1が氣的物質ではないだろうか。
 ならば、近代科学は−1の科学であり、+1を−1から見ているのである。
 そして、基本的に、陽凸i傾斜であるので、自我中心(自己中心)主義になり、マッド・サイエンティストになる傾向をもつのである。
 理性を保持するには、陰凹iの対極が必要ということになろう。
 時間がないので、今はここで留める。


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以下は、まったくの思いつきである。


10)シュタイナー系の視点(以下の本)では、エーテル体は、天から地へ働きかけるのである。それは、⇐+1のような方向性になるだろう。
 意外にその考え方は使えるかもしれない。つまり、⇒+1と⇐+1の両面から、例えば、樹木が成形されるということなのかもしれない。シュタイナー系の考 え方を使用すれば、⇒+1は生命エネルギーで、⇐+1はエーテル的成形力である。つまり、前者が原動力で、後者が形状力である。というか、明確に言えば、 前者は生命物質力で、後者は生命形状力である。
 この問題は難しいのおいておく。

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11)結局、以前の視点に戻るが、虚軸を直径とするような陰陽円、つまり、ガウス平面とは直交する陰陽円(超越円)があり、それが、生命現象化するとき、三次元空間化するのではないだろうか。ここで、四元(しげん)数の考え方が使えるのである。
今は、図示できないので、言葉で簡単に説明すると、陰陽円(超越円)があり、その中心から直交する軸、現象軸、つまり、天地軸が発現する。しかし、それは、当然、平面を伴って、三次元空間を形成する。
 思うに、球を考えればいいのかもしれない。
 それはおいておき、超越的陰陽円、イデア的陰陽円から直交するように、三次元空間が生まれるとするのである。
 超越二次元(平面)から、物質三次元空間が生まれるのである。(思うに、超越二次元、超越平面とは、球面のように思える。ならば、超越球面である。)
 
12)11のように考えても、植物体と動物体の考え方はできるように思えるが、検討する必要がある。

以上、今は暫定的に留める。後で整理したい。





飯山古代史炸裂:日本古代史の謎が解明される:百済国の「亡命」先としての「日本」:古代日本文明誕生
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11702185203.html


テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史


以下は、画期的な説明である。
 私の長年の古代史の謎がほぼ氷解した。
 私は以前、奈良の正倉院螺鈿紫檀五弦琵琶を見て、その豪華絢爛たる装飾に感動した。ここには何かがあると直観した。
 何かとは、なにか途方もない、豊かさ、力をもったものということである。
 しかし、それが何であるのか長年の疑問であった。しかし、未知数は百済国の亡命であったのである。
 それで、悲劇ののち、輝かしい日本古代文化が生まれたのである。
 今日明日は余裕がないので、感想を十分に書けない。
 一言言うと、先に沖の島の豊饒な神話に言及したが、それは、古代の叡知を伝えているのである。私なりに言うと、氣の叡知をもっていたのである。当然、古代母権文化社会があったのである。
 しかし、なにか父権の要素もあるようにも思えるが、基本は、太陽信仰の母権文化だと思う。
 中国(大唐)が父権制、中央集権制なのである、おそらく。
 とまれ、百済は、古代の叡知、文化を「日本」にもたらし、土着的な日本を統治したように思える。
 しかしながら、記紀の感じからすると、どうも、単に、母権だけでなく、父権が感じられるのである。一種の合理主義がそこに感じられるのである。
 飯山氏が提示している工芸品の画像からは、合理主義が感じられるのである。洗練である。
 なんらかの父権があるにしろ、中国的父権主義ではないだろう。そう、母権から生まれた父権とでも言うべきものかもしれない。純粋な父権主義ではないと思う。
 私が批判する国学国家主義的父権主義であるが、それは、まったくの想像であるが、中国からの渡来人に拠るのかもしれない。利に敏い者たちが、百済/土着的日本の母権文化社会を利用したのであり、それが、今も続き、母権日本を破滅させようとしているのかもしれない。
 中国からの渡来人と言ったが、単純に中国人ではない。そうではなくて、中国へ侵攻した父権民族がいるのであり、それらが、日本に渡ったとまったく空想、妄想するのである。
 さらに妄想すれば、一種のアーリア系民族ではないだろうか。
 今は思いつきだけである。そう、一言付け足せば、豊饒な母権文化があったが、欠点は哲学の欠如ではないだろうか。日本に入ってきた、アーリア系が優秀ではなかったということではないだろうか。
 アーリア民族(今はこのような言い方はしないが)は、インドでは、インド哲学を生み、ギリシアではギリシア哲学を生んだのである。
 否、それは短絡的だ。空海の壮大な密教哲学(これは、私的に言うと、これまで、まだ乗り越えられていない氣宇宙の哲学である)を生み出したのではないか。


◆2013/11/18(月) 沖ノ島に大量の金銀財宝があるのは、なぜ?


国宝級以上! 百済国の国宝を
保管する 絶海の孤島 沖ノ島
写真をクリックすると拡大します。↓じっくり御覧になって下さい。 金製指輪 三角縁神獣鏡
日本には国宝を収める正倉院が三つある。奈良の正倉院、西の正倉院百済の里)、海の正倉院沖ノ島だ。このうち歴史的に最も重要なのは沖ノ島で、次が「百済の里にある西の正倉院」。本家「奈良の正倉院」は、飾りが多い高級博物館で歴史学的には劣る。
上の三角縁神獣鏡も金製指輪も、私の鑑定では「魏」(北魏 )由来だ。三角縁神獣鏡は中原では出土しないが満州から平城京=今の大同にかけて出土している。
ともあれ百済の王族貴族以外は手に入らなかった逸品だ。
663年。白村江で新羅と唐の連合軍に完敗した百済国は滅亡した。

勢力・版図の拡大期にあった唐による百済掃討作戦は過酷だった。

唐の過酷な追討を避けるため、生き残った百済の残党は、日本列島に避難した。

王族・貴族、技術者、平民、そして金銀財宝の数々…。百済は、国土を捨て、国をあげ国ごと九州まで避難してきた。

この「国家」の運搬を担当したのは海の豪族・宗像海人族の首長・宗像(胸形)君徳善。
このボスの娘が尼子娘で、天武天皇の側室となり高市皇子を生む。
ちなみに藤原氏に滅ぼされた長屋王高市皇子の長男だ。

白村江で闘った海人族に安曇族がいた。指揮官の安曇比羅夫は壮絶に戦死するが、安曇海人族は唐軍の掃討作戦を恐れて九州まで逃げ、博多湾志賀島に集結する。

が、唐の追討を恐れるあまり、その後、さらに長野の山奥、今の安曇野盆地まで避難する…。これで今まで不明だった「なぜ安曇野なのか?」の疑問が解けたと思う。

安曇比羅夫。この名前、安曇野市では有名だ。安曇野市穂高神社では今でも安曇比羅夫を祀り、「御船祭り」で供養している。
このように「大唐」の版図拡大作戦は、なんと長野の山奥にまで及んだのである。

さて、歴史は、先ず大きな鳥瞰図で見なければならない。

百済高句麗。この両国を滅亡に追い込んだのは「大唐」。
この「大唐」の凄まじい勢力・版図拡大作戦によって、当時の東アジアの歴史は、目まぐるしく激しくダイナミックに動いた。この視点がない歴史学は、重箱のスミを突付く矮小な学問となる…。

とにかく7世紀、唐の大拡大期の東アジアの歴史は、「大唐」を中心に動いた。日本の遣唐使も、いや! じつは『日本書紀』も「大唐」に対するメッセージなのである。

長くなったが…、
海の正倉院沖ノ島
この玄界灘に浮かぶ絶海の孤島に収められた膨大な量の金銀財宝の全てが百済国由来である!ということ。お分かりになったと思う。
去る7月4日、皇太子殿下が宗像大社に行啓され、神宝館では「秘宝」を御覧あそばされた。東宮様は何をお思いになられたか…、「事情」はすべてご存知のはずである。 (記事)
金 銅 製 龍 頭
宗像大社沖津宮が鎮座する玄界灘の孤島沖ノ島で発見された、龍の頭の形をした一対の金具です。竿の先に付けて、その口から天蓋や幡を吊り下げていたと考えられる。中国の東魏時代に作られた渡来品とみられ、「海の正倉院沖ノ島を代表する宝物の一つ。これまた百済の王族貴族以外は手に入らない逸品だ。
金銅製龍頭
写真をクリックすると拡大します。↑じっくり御覧になって下さい。

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