ママス&パパス:47年前、今でも新鮮である:自由資本主義経済から

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ママス&パパス:47年前、今でも新鮮である:自由資本主義経済から自由共同体資本経済へ


テーマ:music/dance/ballet


ハリウッド映画もそうであるが、米国(「鬼畜」米英)の作品は今でも視聴できる。
 それに対して、映画は除くと、歌謡曲で今日聴けるのはどれほどあるのか。美空ひばり都はるみテレサテン、他、名歌手はいるが、果たして、古典となる歌謡曲はどれほどあるのか。
 私は学生の頃、洋楽ポップスが好きで、日本のフォーク・ミュージックはウェットな響きが嫌いであった。(演歌は中年くらいで好きになったが。ニューミュージックでは、五輪真弓が大歌手であり、近年では夏川りみが大歌手であるが。)
 今でも、普段聴くのは洋楽である。それも古いものである。70年代初期である。
 とまれ、なぜ洋楽が好きなのか。それも古いものが。
 一言で言えば、心、ハートがあるということである。では、日本の歌謡にはないのかと言われると困る。
 もちろん、あるが、日本の歌謡はウェットなのである。それが重いし、疲れるのである。
 洋楽の心、ハートはカラッとして、爽快なのである。そう、これを私は求めているのである。陰湿な感情は苦手である。
 「カラッとして、爽快」というのは、いい意味でキリスト教から来ているのではないだろうか。


追記:政治経済的に記述すると、ママス&パパスはどうなるのだろうか。自由資本主義の自由市民の音楽ということだろうか。しかし、自由資本主義は今日、世界寡占・独占資本主義になっているのである。時代の大変化があるのである。


追記2:結局、自由資本主義(自由民主資本主義)が世界独占・寡占全体主義的資本主義に変質してしまったのは、自由において、自我、ヤハウェ父権自我が主導・支配しているのからである。これを乗り越えるには、内在超越的主体の立場が必要である。それは、一種のプラトン主義なのである。太陰イデア論(太陰イデア原理)から言うと、太陰イデアへと主体を転換する必要があるのである。
 自我的自由から個=他者的自由(個的倫理)へと転換する必要があるのである。これは、政治経済的には、自由共同体資本経済への転換を意味すると言えよう。
 
The Mamas and The Papas - Monday, Monday 1966 HQ / HD 1080p