不連続的陰陽イデア論:陰イデア∞陽イデアのメビウスの輪と太一イデ

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http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11511333265.html

不連続的陰陽イデア論:陰イデア∞陽イデアメビウスの輪と太一イデア


テーマ:不連続的陰陽イデア論:不連続的差異共振論


森で考えた。
 陰陽様態はメビウスの輪のイメージで考えるといい。そして、その中心を垂直に、つまり、それに直交するのが、太一軸である。
 次に、陰と陽をイデアと考えると明快になると思う。即ち、陰イデアと陽イデアであり、また、陰陽様態は陰陽イデアであり、それは、超物質と考えられる。
 気は陰陽イデア・エネルギーであると考えられる。
そして、知性であるが、それは、陽イデアであり、感性は陰イデアである。陽イデアは霊、陰イデアは魂ということでもあると思われる。
 そして、陰イデア、陽イデア、陰陽イデアを統括しているのが、太一イデア、原イデア、大イデアである。
 そして、陰陽イデアにおいて、陽イデアの連続同一性作用によって、物質化が為されると考えられる。
 陽イデアの連続同一性作用は同時に、陰イデアの連続同一性作用であり、両者、プラスとマイナスの対構造を作ると考えられる。これが、DNAの二重らせんの基本になっているのではないだろうか。もっとも、それ以前に原子構造の基本であろう。この点は後で検討したい。
 人間の精神は上記したところから、陰陽イデア体であると言えよう。それは、当然、不死不滅、永遠存在である。
 物質的生と死を繰り返し、因果応報により、進化していくのだろう。(俗に、輪廻転生であるが、陰陽イデア体の発展プロセスと見るといいだろう。)
 結局、陰陽をイデアと見るのが、キーポイントなのである。これによって、様々な問題が解明されよう。
 陰陽イデアである人間精神(人間身心)は、その思考から、身体や物質を形成するのがわかるだろう。精神は物質を形成するのである。
 ただし、病気に関しては、陰陽イデアの欠陥と同時に物質的身体の故障を考えなくてはならない。
 結局、物質とは、不連続的陰陽イデアの連続体なのである。連続体は生成消滅するが、不連続的陰陽イデアは不滅なのである。


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生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著)の説く「生命とは動的平衡にある流れ」というテーゼであるが、動的平衡とは、不連続的陰陽極性のもたらすものであり、当然、陰陽はエネルギーを生成するので、流れがあるのである。


追記:陽イデアは光であり、陰イデアは闇である。光と闇は二つの「光」(参考:twilight)と考えられる。
 問題は、陽イデアが主導化したとき、連続同一性化=物質化が生起し、プラスとマイナスの対・相補構造が形成されるが、陰イデアが主導したとき、何が起るのか。これは、課題としておく。
 とまれ、明快に区別するため、陽イデア=光を陽光、陰イデア=闇を陰光と呼ぼう。
 ならば、太一には「光」はないのか。私が以前、超光と呼んだものがそうではないのか。超越光とも呼んだ。そうしておこう。


追記2:陽光、陰光ではなく、明光と暗光の方がいいのでは。(追記:可視光と不可視光)


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メビウスの帯 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/メビウスの帯 - キャッシュ - 類似ページ
メビウスの帯. メビウスの帯メビウスのおび、Möbius strip, Möbius band)、または
メビウスの輪メビウスのわ、Möbius loop)は、帯状の長方形の片方の端を180°ひねり
、他方の端に貼り合わせた形状の図形(曲面)である。メービウスの帯ともいう。 数学的
に ...




グリーン・イデア・エロース:キリスト愛とプラトン・エロースの一致


テーマ:フォレスト・フィロソフィア:森の哲学


先に、キリスト愛とプラトン・エロースを比較したが、そこでは、両者区別があった。しかしながら、あらためて考えたら、両者一致する考えられたのである。
 簡単に言うと、キリスト愛は、自我欲の解体、連続的同一性自我欲の解体をもたらすのである。即ち、他者肯定によって、新たな陰陽イデア体を発動させるのである。つまり、連続的同一性中心主義によって隠れていた、抑圧排除されていた陰陽イデア体が発動するのである。
 それは、根本の太一エロースを帯びるのである。だから、キリスト愛とプラトン・エロース(イデア・エロース)は一致するのである。
 太一=大イデアは植物的生命イデアと考えられるので、それは、キリスト愛=プラトン・エロースをグリーン・イデア・エロースとも呼べよう。
 今はここで留める。





蛇は螺旋、永遠の生命の象徴だろう:母権文明の精神


テーマ:フォレスト・フィロソフィア:森の哲学


後で少し説明したい。



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 それは、根本の太一エロースを帯びるのである。だから、キリスト愛とプラトン・エロース(イデア・エロース)は一致するのである。
 太一=大イデアは植物的生命イデアと考えられるので、それは、キリスト愛=プラトン・エロースをグリーン・イデア・エロースとも呼べよう。
 今はここで留める。





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後で少し説明したい。