光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対

図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11457363068.html


光・陽のもつ闇と闇・陰のもつ光:光の影を他者に投影し、他者と敵対する自我:万人の万人に対する戦争


テーマ:無双陰陽原理/トランス・サイエンス


以下、簡単に図示する。


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 ?:陽・光・頭(知)・父権・自我・同一性
    
              
             アポロ


     ↓   ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
     陰   陰   陰   陰   陰   陰

ー⇅ーー⇅ーー⇅ー胸・境界・浸透膜ー⇅ーー⇅ーー⇅ー

     光   光   光   光   光   光
     ↑   ↑   ↑   ↑   ↑   ↑


          ディオニュソス


 ?:陰・闇・肚(魂)・母権・他者・差異



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?の領域は、?の能力が?とは一致しないので、?の領域を抑圧するのである。
 つまり、?は自我の光であり、それは、他者の闇を抑圧するのである。そこで、?と?の境界の?の面、あるいは、?の底面に影が生じるのである。これは、光の影(シャドウ)である。このシャドウが光のもつ闇なのであり、その影が光には見えないのである。自分の影に気づかず、返って、それを他者に投影するのである。
 言い換えると、光の影(スクリーン)を通して、自己は他者を見るのであり、他者は自分の影が映った存在となり、自己は他者に敵対的になるのである。
 では、光に生じた影(シャドウ)・闇を取り去るにはどうしたらいいのだろうか。
 それは、?の領域を肯定する意識をもつことである。
 思うに、?と?との境界は、言わば、浸透膜である。?は?に触れ、?は?に触れている領域である。
 この浸透膜的境界を介して、?の光・陽・頭は?の闇・陰・肚を肯定し、?と?との共振、つまり、陰陽共振を目指すべきである。
 しかし、最高に注意すべきは、?の同一性で?の差異を認識することはできないということである。?は認識ならば、?は存在なのであり、相互に異質なのである。ただし、?は?を否定するが、?は?を包摂することができるという非対称性があると考えられる。ジェンダー的に言えば、男性原理は女性原理に包摂されるということである。おそらく、生物的に、女性原理の方が先行していたことの証しように思われる。
 無双陰陽原理の原点である不連続的差異論がここで重要になる。
 即ち、?にとって、?とは不連続なものであるということであり、?は?を同一化できないのである。つまり、?は絶対的差異、絶対的他者であるということである。
 この点を具体的に言えば、?は知性とすれば、?は性(セックス)である。?の精神は?の身体を理解できないのである。そう、?を西洋・父権で、?を東洋・母権と見てもいい。
 今日の世界、日本の闇・悪は、実は、光・善から生まれたものであることがわかる。光の支配による暗黒化なのである。
 価値逆転的に、?の陰・闇・肚をベースにすれば、光の悪の支配は終焉し、陰と陽との和解・調和が生じるのである。新しい母権の世界である。