父権主義は陽中心主義であり、母権主義は陰ベースである:陰は自然と

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父権主義は陽中心主義であり、母権主義は陰ベースである:陰は自然と直結する:トランス・モダン陰文化


テーマ:無双陰陽原理


明治維新までの日本文化は、陰の文化であったと思う。
 しかし、父権派が母権派(坂本龍馬西郷隆盛ら)に勝利して、陽の文化へと転換したと考えられる。
 また、西洋文明自体が陽の文化であり、本来、陰の文化であった日本文化は、自己否定的に陽化されたのである。この「トラウマ」が近代・現代日本にはある。
 そう、ユダヤキリスト教西洋文明とは、陽中心主義であり、陰を否定、排除、殲滅しようとするのである。あるいは、支配である。
 そして、戦後日本は、GHQ支配下で、陰文化を否定され、無理矢理、陽文化を洗脳されたのである。
 とまれ、私が言いたいのは、陰の文化とは、実は、自然主義文化である。自然にダイレクトに直結した文化である。そして、深まると、自然への神秘的交感へと進むのである。
 アニミズムはこの陰の神秘的文化の一つである。
 陽中心主義が陰の文化を恐れるのは、当然である。陽中心主義とは、物質的合理主義、物質科学主義、自己同一性主義等であるからである。内的な神秘性を認めると、それは破綻するからである。
 そして、戦後日本人は、固有の陰文化の神秘性を恐れて、それを排除していったのである。その結果が、自然大破壊的「開発」である。
 原発も正に同様である。物質科学・技術、そして、戦争資本主義の産物としてそれは存するのであり、自然生命を破壊する悪魔的科学・技術・産業である。
 とまれ、今や、陰の文化が新たに産まれようとしている。それは、新陰文化である。それは、陽文化、物質文化を経由した新しい霊的文化である。
 根本にあるのは、陰の霊性である。陰霊性である。これは、自然神秘文化である。
 しかしながら、近代科学を経由しているので、科学を否定するということはない、いわば、科学的自然神秘文化である。
 霊学者のルドルフ・シュタイナー人智学とは、そのようなものである。
 しかし、私見では、人智学は、神秘性、霊性に傾斜し過ぎていると感じる。もっと、物質的現実、政治・経済的現実を直視し、認識する必要があると感じる。
 彼の「オカルティズム」は科学的合理主義を背景にもつのであるが、一般には、誤解されやすいだろう。
 モダン文化を前提にした「オカルティズム」である。私のこれまでの哲学的探究から言えば、トランス・モダン文化への移行である。
 とまれ、陰=肚の文化の新生が必要である。これによって、西洋的陽文化の金縛りから解放されて、新しい日本文化が創造されよう。


追記:以前、何度も述べたが、心の病とは、陰意識を抑圧していることから発生するように考えられる。
 例えば、うつ病とは、私見では、陰陽共振による気・生命エネルギーの枯渇に拠ると思える。つまり、陽意識が陰意識を否定、抑圧、排除しているので、陰と陽との共鳴共振調和が十全に起こらないために、生命エネルギーが枯渇すると考えられるのである。
 陽意識(頭脳意識)が陰意識(肚意識)と共鳴すれば、気・生命エネルギーが豊かに発生すると考えられるのである。
 しかし、陰意識を抑圧すると、それは、言わば、反動的に陽意識に攻撃的になるのではないだろうか。それが攻撃的衝動になると思えるのである。つまり、心の病はなんらかの攻撃衝動をはらむと考えられる。
 D. H. ロレンスの『アメリカ古典文学研究』のメルヴィルの『白鯨』論は正に、秀逸であり、西洋文明、ユダヤキリスト教文明がもっている父権・陽の文明の陰の文明への偏執的攻撃性を抉り出していると考えられるのである。
 後でさらに付け加えたい。


追記2:今日の文明は、あるいは、文字記録に残された文明は、父権文明であり、それ以前の母権文明を滅ぼし、いわば、殲滅させたのである。母権文明は口承的文化であり、文字記録がほとんどないので、あたかも存在しなかったように一般には考えられているのである。
 そして、私見では、父権文明とは、陽意識に傾斜した文明であり、陰意識を理解できないのである。陽意識は陰意識を憎むと考えられる。これが、先に触れた男性原理は女性原理を恐れるということと同じことであると考えられる。
 いったい、この憎悪、恐怖のメカニズムは何であろうか。
 実は不連続的差異論は正に、このメカニズムの解明にあったとも言えるのである。
 つまり、陽意識とは自己同一性主義であり、それは、絶対的差異である他者の陰意識を認識できないからである。理解不可能なので、それを否定したり、恐怖すると考えられる。
 思うに、女性・母権原理は陰意識である。しかし、陰意識は陽意識を包摂できるのである。ここに女性・母権原理の男性・父権原理に対する優位性があると言えよう。
 とまれ、陽意識に傾斜しているので、男性は、自己中心的に支配、権力を目指すのである。それは自己同一性・物質原理によって、自然を破壊するのである。森林破壊は『ギルガメシュ叙事詩』に雄弁に描かれている。
 もう少し、陽意識の陰意識に対する力学を述べると、前者は後者を自己同一性的に取り込むのである。つまり、支配である。それは反感、憎悪、怨恨をもっていると思われる。何故か。
 それは思うに、陽意識の自己同一性意識とは、陰意識への否定であるからと考えられる。否定とは、同化することのできない対象への憎悪を伴うと考えられる。
 端的に、陽意識は陰意識を認識不可能である。故に、それに「負ける」ので、憎み否定するのである。これが現段階での仮説である。
 また、後で補足したい。
 

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(以下『研究』と略記する)である。ロレンスがアメリカに渡ったのは1922年のことであるが
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女性の国政進出 未来のため増やしたい



2012年12月3日

 四日公示の総選挙で女性議員を増やせるだろうか。国政は原発事故の対応をはじめ、この国の未来を左右する問題が山積みだ。多様な民意を反映させなければならない。女性の力が必要だ。

 二十九日に告示された都知事選には九人が立候補したが、女性は一人もいない。女性の視点があまりにも示されなかったことに落胆した有権者は少なくないだろう。

 男女共同参画社会だと言われながら、今なお政治の場で女性は少数派だ。戦後改革で女性に参政権が認められて以来、国会議員は大量当選した時期もあったが、解散前の割合で11%。地方議会では比較的多い市議会でもその割合は全体で15%ほどにすぎない。国や身近な街の問題を話し合い、将来像を決める場に、有権者の半数を占める女性の経験や感性が生かされないのでは、議論の幅や厚みを失わせてしまう。

 議員としてでなくても、地域の問題に取り組んでいる女性は大勢いる。福島第一原発事故後は放射能の被害から子どもを守ろうと、地元の行政や議会に働きかけ、放射能を自主的に測ったりして、懸命に行動する人が目立っている。

 女性の国政進出が伸び悩んだ原因には、男女の性によって役割が決められがちで、政治も他の公的分野と同様に、女性が頼りにされないような風潮もあっただろう。だが、最たる原因は各政党に女性議員を増やそうとする努力が足りなかったことだ。

 世界では男女差をなくすために「クオータ(人数割り当て)制」を導入し、議員や候補者の一定割合を女性にするように決めた国が多い。政党法や選挙法の改正によって、比例代表の女性比率を一定以上にしたり、名簿に載せる候補者の半数を女性にしたり、奇数順位を女性にしたりする。韓国では二〇〇五年に女性議員の比率が一割を超え、今では15%近い。北欧やドイツなどは女性の国会議員が三割を超えている。

 一九八九年の参院選で当選し、その後、千葉県知事を務めた堂本暁子さんは、「国の意思決定の場に女性が存在することの意味、予算と権限を持つことの意味」を実感したという。

 震災や原発事故をきっかけに暮らしや命に寄り添った政治に変えようといううねりが始まった。社会保障も、経済対策も、安全保障も、教育も、どの分野でもその解決に女性の視点はなくてはならない。女性議員をもっと増やすよう、各党は競い合ってほしい。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012120302000132.html


東京新聞