光とは何か:光のMP2同一性形式回路と超越光のMP1物質変換回路

光とは何か:光のMP2同一性形式回路と超越光のMP1物質変換回路


テーマ:検討問題


以下から、光は差異を物質へと変換させる精神原理であると考えられる。精神的フィルターでもある。
 それは、いわば、媒介の原理であり、それ自体は物質ではなく、物質の形式生成エネルギーのようなものではないだろうか。(思うに、そう考えると、光は気である。光を電磁波と捉えるのは、やはり、media pointの実軸点において、考えていると思う。虚軸では気であると思われる。)
 そして、この物質形式生成エネルギーは現象界では、秒速約30万?である。しかし、それは実軸点においてであり、虚軸点あるいは、虚軸点と実軸点の中間様態においてではない。
 では、昨日超光速粒子であると発表されたニュートリノとはどう考えられるだろうか。
 ここで先ほど述べた、MP1とMP2との連関、相関を考えたい。即ち、MP1とMP2との即非様態のことである。前者は超越光が形成され、後者は現象光が形成されるのである。光自体は 両者の中間態である。
 すると、超越光>光>現象光というような図式が考えられる。ただし、>は量ではなく、質的差異を意味する。即ち、左辺は質的に精妙であるということである。あるいは、純粋であるということである。
 だから、超越光は光よりも精妙、純粋なのである。だから、前者がMP1→MP2変換をしたとき、超越光が現象界に物質として形成されることが考えられる。これは、光よりも精妙な、純粋なものなので、光の力学を超えると考えられるのである(作業仮説)。
 ここで思考実験であるが、光⇒MP2⇒物質形式変換とMP1⇒MP2⇒物質変換とは力学が異なるのではないだろうか。後者は光をパスしている可能性があるのではないだろうか。換言すると、光の同一性回路とは別の超越光物質回路があるのではないだろうか。それが、ニュートリノを形成しているのではないだろうか。
 また、その超越光物質回路であるが、それは、凹(-1)⇦MP2のdark matterへの志向性もあるように思えるのである。⇦は先の検討では、dark energy、反重力になるのである。
 とまれ、今は問題提起のみである。

 
参照:


「光」 =「ひ」とは何か:阿弥陀如来 の光、イデア の太陽


[叡智学] 「光」 =「ひ」とは何か:阿弥陀如来 の光、イデア 界の太陽


先の検討 から 、イデア 界の光とは、差異境界である と考えられる。これは、連続 化へと進展するもの である 。そう、「光」 とは共通項なのである 。公約 数なのである と思う。アインシュタイン相対性理論 とは、このことを意味 しているのではないか 。光速度 の一定 の原理 。もし、イデア 界において、差異境界が光速 であれば、もっとも超光速 である が、それは、知即存在 である 不連続的差異 ・イデア を交通 する存在 である 。そう、差異連続 化するもの としての「光」 が考えられるのではないか 。これが、万象の共通項であろう。そして、メディア 界の光をもって現象界が生起するが、連続 化の原理 とは、差異連続 境界である 光の原理 であろう。e=mcc という原理 とは、正に現象界の原理 だろう。つまり 、光速 とは、イデア 界における差異境界の超光速 の現象界での速度だろう。すなわち、光とは、イデア 界と現象界とをつなぐメディア 界的存在 だろう。阿弥陀如来 の無量光とは、イデア 界の差異境界の超光であり、同時にプラトン の言う善のイデア であろう。御来光の光とは、このことである し、大日如来 もそうである し、卑弥呼 (日巫女 )の日やアマテラス もこれであろう。二月堂の御水取りの大松明の火も、これであろう。また、ゾロアスター教 の火もこれであろう。そう、キリスト の光=火も、本来は、これであろう。結局、「光」 とは、イデア 界の差異境界=超光を指していると言えよう。そして、これは、不連続的差異 ・イデア の集合体である イデア 界を指しているのである 。光とは、ある意味 です べてである 。「光あれ」とは、ある意味 で尊大 な言い方だろう。父権 的な言い方だろう。「光ありき」が正しい。そう、初めに、不連続的差異 ・イデア と「光」 ありきである 。不連続的差異 ・イデア 即「光」 である 。阿弥陀如来

http://blog.livedoor.jp/renshi1900/archives/15064766.html

プラトニック・ソフィエンスの創造 :新叡知科学 へ向けて