悲劇と歴史

悲劇と歴史


テーマ:三千世界の立替え立直し:艮うしとらの金神


私はもう二十年前くらいになるか、歴史を動かすのは、悲劇であると感じたものである。また、常々、現代日本人は物質主義に染まり、醜態を呈していて、これには、荒療治が必要だと感じていた。
 悲劇とは実に男性的思考である。女性は本能的に悲劇を避ける。ここが女性の難点であろうが。
 私はこの度の大地震を大『神』災と呼んだ。人工地震という視点もあるが、私は天災説である。
 シュタイナーのカルマ論に拠れば、不幸は自ら招くものである。日本は戦後、唯物論に染まり、伝統的日本に背を向けて生きてきたのであるが、そのカルマが今回、大震災となったと解釈できる。
 また、馬鹿菅民主盗や大悪魔東電による人災が大破壊、大悲劇的である。
 しかし、人災を含めて、私は近代日本のカルマがここで爆発したと考える。
 人間は愚鈍な生き物で、身にしみないと、悟らないのである。私もそうである。極度の苦痛を感じないと悟らない愚鈍な、能天気な生き物なのである。
 とまれ、正に、大『神』災であり、「最後の審判」が下されたのである。これは、新たな日本の創世への「ビッグ・バン」である。
 「天罰」は日本人全体に下ったのである。これは謙虚に受け止める必要があるし、今や、民衆にとって、誰が悪人であるか明瞭になったと言えよう。民はお馬鹿で、実例がないと理解できないのである。
 因みに、何度も言うが、小泉元首相は、私は、すぐペテン師であると直観したし、菅首相も、昔の四国巡礼の編み笠の下の醜悪な顔をみて、これは、食わせ者だと思った。
 そのような直観的認識力を失った日本人に今回、鉄槌が下ったとも見るべきである。
 私はこの大災厄は大天恵であると先に述べたが、その考えを今も変えていない。


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・ 不明の仲間きっと見つける 高田分団、懸命の捜索


不明の仲間きっと見つける 高田分団、懸命の捜索
 

 津波で大きな被害を受けた陸前高田市で、市中心部を管轄する市消防団高田分団(大坂淳分団長)は団員126人中27人が波にのまれた。最後まで住民の避難誘導を続け、12人はいまだ見つかっていない。残った団員は家族や家を失いながら、震災から2週間たった今も捜索に打ち込む。生存は絶望的でも「せめて冷たい場所から救ってあげたい」。その一念で命を投げ出し、住民を守ろうとした仲間を捜し続ける。

 25日午後。白い防護服の団員が身をかがめ、がれきの下をのぞく。重機の作業が中断し、遺体収容係が呼ばれた。消防団の捜索活動は連日続く。

 市中心部を管轄する高田分団は、入団したばかりの団員や結婚を控えた若手、分団の中心的存在だった幹部ら20〜50代の精鋭が波にさらわれた。

 高田分団は地震発生と同時に、避難場所の市民体育館に本部を設置。1〜6部が各持ち場で避難誘導や交通整理などに当たった。高齢者の一人暮らしが多い地区に向かった団員、高齢者の手を引いたまま不明になった団員もいた。

 避難場所だった市民体育館近くの交差点で交通整理や避難誘導を担当する1部はほぼ半数の11人が消えた。市民体育館は壁がすっぽり抜け破壊された。

 菅野達也さん(48)は「津波のばか野郎だ。全員持っていかれた」と不意の災害を恨む。及川満伸副本部長(47)は「若い団員もおり、親に申し訳ない。とにかく全員見つけ出したい」と唇をかんだ。

 本部の市民体育館にいた大坂分団長(53)は3メートルの津波情報を聞き、団員を避難させるために現場を回った。自身にも危険が迫り、陸前高田駅をのみ込もうとする黒い波が背後に。胸まで水に漬かったが、奇跡的に助かった。

 しかし、市民体育館に詰めていた分団本部の上部仁先任副分団長、平野正浩本部長はいまだ行方が分かっていない。

 大坂さんと上部さんは同級生。「嫌な仕事も率先してくれる最高の仲間。平野は何一つ文句を言わない男だった」と振り返る。波にのまれた仲間の思いを胸に大坂さんは家族を亡くしながらも消防団の指揮を執っている。

 「家族も家もなくした連中ばかり。自立するためのすべを考え、前を向くんだ」と語気を強めた。

【写真=がれきをかき分け、捜索活動に取り組む陸前高田市消防団員ら=25日午後、陸前高田市高田町】
(2011/03/26)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110326_14