検討問題

検討問題


1) 一般に、自己形成ではなく、自我形成となる力学は何か。連続的同一性でこれまで説明しているが、端的に何なのか。言い換えると、なぜ、凸iと凹iが連続化するのか。D. H. ロレンスは、炯眼にも、the quick of the thingsは絶対的間隙・懸隔であると述べている。それは、端的にMedia Pointと考えられる。しかしながら、通常は、この絶対的懸隔を簡単に喪失するのである。やはり、MP2が連続的力学ということでいいのではないだろうか。だから、結局、東洋の知恵とは、それを越えて、MP1の心性に到達することに存すると言えよう。仏教が端的にそうである。インドの瞑想哲学(ヨーガ)に基づくと言えよう。身体瞑想知を取り戻すべきである。結局、西洋知は、MP2を基盤とする知である。これに戦後日本は洗脳されたのである。とは言え、MP1の知恵とは、神秘的な知である。近代合理主義/唯物論が否定するものである。唯物主義の破壊が必須である。


2) 凹iをアストラル体(動物体)と作業仮説しているが、いわゆる愛情とはここから生まれるのではないだろうか。女性は本来、アストラル体を具備していて、子育てを「本能」的にするのでは。もっとも、最近は鬼女が多いが。これは、男性性の凸iの影響だと思われる。


3) 先進波と遅延波:前者が球面から中心への波、後者を中心から球面への波とすると、一見、重力は前者となり、反重力は後者となるが、これは背理である。思うに、逆である。遅延波が重力であり、先進波が反重力であろう。なぜなら、中心から球面への波とは物質形成を意味するのであるから、重力形成でもあると言えよう。それに対して、球面から中心への波とは、反物質的であり、故に反重力であると思われる。とまれ、そうすると、植物で言うと、遅延波が根の方向であり、先進波が芽、茎、幹、葉、花、実の方向となる。つまり、先進波がVector Modeを形成することになる。言い換えると、生長とは先進波が起こすことになる。これも背理である。正しくは、遅延波と先進波との極性によると言うべきであろう。後で丁寧に考えたい。