自我アイデンティティという利己主義:父権的凸i傾斜的劣等/優越コ

自我アイデンティティという利己主義:父権的凸i傾斜的劣等/優越コンプレックス


テーマ:ポスト・ユダヤキリスト教西洋文明


(お断り:これまで、自己認識方程式を(+i)*(-i)⇒+1としたが、その後、Kaisetsu氏による理論進展によって、凸i*凹i⇒+1となった。)


Media Pointないし、凹iを満たす必要がある、本来。しかしながら、凸iに傾斜しているので、Media Pointや凹iが無意識になるのである。
 先に、凹iはアストラル体ではないかと提起した。それは、感情的身体である。あるいは、内臓的感情身体である。
 凸iは抽象観念を志向するので、凹iを基本的には排除するだろう。そう、凹iは受容的身体とも言えよう。内的他者であり、外的他者を感受するのである。つまり、受け身なのである。だから、外的他者に対して、反感を感じるのである。
 この点を厳密に分析する必要がある。
 思うに、凹iは感受点である(追記:Media Pointを感受点すべきか、この点は検討課題である)。快不快・苦楽を感じるポイントである。また、人間は鏡像自我を形成するが、それは、排他的力学をもつ。即ち、自我肯定であり、他者排除的な力学である。利己主義・エゴイズムの原点である。
 個人はこの鏡像自我という利己的な優越志向があるが、外的他者を感受するときは、当然、優位に立とうとするのである。自我優位であり、他者を劣位におとしめようと欲するのである。
 この優越主義は当然、優れた他者に対しては、劣等感を感じるのである。というか、他者一般に対して、裏返しの劣等感をもつと思われるのである。
 ということは、鏡像自我形成の原点において、なにか劣等感があるということではないだろうか。
 そう、それは、人間が幼児・小児としてもつ身体的な非力さ・無力性から来ているのではないだろうか。
 馬の子は生まれるとすぐ立つことができるが、人間の赤子はできない。そう、心身的な根源的弱さがあると言えよう。
 この弱点をカバーするのが鏡像自我ではないだろうか。非力さを裏返しにした、認知的優越性をもつものではないだろうか。
 しかし、それですべてであろうか。
 思うに、凸iは凹iに対して、根源的な劣等感をもっているのではないだろうか。何故なら、凸iにとり、凹iはまったくの他者であり、異質なものであり、了解不可能であるからである。絶対的他者である。
 この原劣等感があるので、凸iは、アイデンティティを形成して、自我を優位・優越に保とうとするのではないだろうか。それはまた、攻撃的志向である。
 そして、凸iの傾斜は父権的なものである。あるいは、一神教的なものである。
 しかしながら、凹iは母権的なもの、多神教的なものだろうか。私は以前から、母権的なもの、多神教的なものとは、凸iと凹iとのバランスのとれたものと考えている。
 とまれ、父権的な傾斜、凸iの傾斜は凹iにコンプレックスを感じるのである。そのために、自我アイデンティティを形成しようとするのである。しかしながら、それは、凹iを隠蔽しているので、本来、不適切な、誤魔化しの、虚偽・欺瞞的なアイデンティティに過ぎない。
 だから、父権的意識が本来の自己認識に達するには、凹iを肯定する必要があるのであるが、それが一般的にはきわめて困難なのである。
 しかしながら、東洋文化は本来、身体的文化であり、凹iを肯定する技術をもった文化なのである。日本文化で言えば、肚の文化である。これは、中国では、道教丹田の文化であり、インドでは、クンダリニー覚醒のための瞑想文化(ヨガ)である。仏教では、禅の瞑想文化である。
 ということで、凹iを肯定する身体的文化(教養)があったのである。(追記:武芸・武道もこれに関係する。弓道、剣道、柔道、相撲、武士道、等)
 それに対して、西洋文化は凸iに傾斜した文化(デリダのロゴス中心主義)であり、凹iを排除する父権的文化であると言えよう。
 サイードオリエンタリズムはこれで説明できよう。凸iの文化が凸iに劣った、凹i中心の東洋を指導する必要があるということである。(しかし、東洋文化は凹i中心ではなく、凸iと凹iとの均衡を追究する文化である。)
 ということで、本題のアイデンティティの利己主義性について解明できたと言えよう。つまり、父権的アイデンティティの利己主義性ということである。
 因みに言えば、資本主義は凸iが中心となり、凹iを抑圧して成立した経済である。同一性価値経済である。
 今日、ポスト・リーマンショックとして、新経済が要請されている。それは、凹iを肯定する経済である。それは、差異共立経済である。即ち、自由共同体的経済である。
 ポイントは差異共立主義である。これは、他者との共同性を志向するものである。この点については後で検討したい。


追記:ここで述べたアイデンティティとは父権的アイデンティティということである。あるいは、自我的アイデンティティである。なぜなら、母権的アイデンティティ、差異的アイデンティティ、民族的アイデンティティ等があるからである。


参考:
tokaiama

1. 世界を拓く新しい秩序は自給自足の農業共同体から生まれる。ちょうどアメリカインディアン部族をイメージすればよい。数十名単位の大家族、部族なのだ。人は部族に心を置いて帰属し、個人を超えて部族が一個の独立人格として永続的に生き続ける。その発展型が客家だ。構成員の目的は子供達を育てること 約2時間前 webから
2. 既存の組織、秩序が、経済崩壊によって、すべて崩壊の危機に晒されている。国家、行政、企業、学校、宗教、家族、あらゆる帰属体、組織が崩壊し、人々は真に心を置いて安心できる帰属体を求めて彷徨うのだ。新たな帰属体は農業共同体だろう。そこには、もはや一夫一婦制家族もなく、男女は自由に離合 約2時間前 webから
3. 人が常識と信ずるものは「帰属体」を維持するために必要な倫理、秩序であることに気づく必要がある。心を置いて安心できる帰属体を見いだすことで人は自分のアタマ、足、意志で考え、判断する責務を逃れ、世間体、常識に従って生きていれば、疎外孤立から解放され安心できる。これが宗教団体の秘密 約2時間前 webから
4. ツイッター見てると、価値観、判断基準が帰属意識にあることが鮮明に。自分が帰属すると信ずる社会的ステータスの利害に沿った取捨選択を行う。帰属意識が成立するのは小中学校における力関係、洗脳だ。人は人生の根底に帰属を置いているのだ。家族・学校・会社・多重の帰属が生涯を縛り続ける 約2時間前 webから