虚軸界が霊界ではないのか

凸i*凹i⇒+1【i*-(-i)⇒+1】の自己認識方程式に拠ると、近代は、自我凸iは、+1と合一する錯誤に陥っている。
 いわゆる、感覚知覚(正確には、物質的感覚知覚)の世界は、凸i=+1の錯誤の世界である。そう、対象凹iも+1である。つまり、凸i=凹i=+1の錯誤の世界である。
 感覚は差異共振の「光」によって生起されよう。感覚はMP2(実軸のゼロ点)の面となるだろう。これは、表記しにくいが、MP2の、いわば、プラスの面である。あるいは、表面と言おうか。
 しかしながら、実体、本体は、差異の双対的様態である。つまり、虚軸、ないし、虚軸のゼロ点(MP1)における差異極性の様態である。虚軸においては、差異共振もあり、差異共立もある。とまれ、これを差異即非様態と呼ぶ。
 これが、霊的様態ではないだろうか。「わたし」は、思うに、原自己凸iと原他者凹iの極性に還元されるのではないのか。
 思うに、「わたし」とは、凸iと+1との結合ではないのか。それは、自我と言ってもいいのではないか。
 しかるに、自己とは、差異即非様態と自我との共立ないし共振ではないだろうか。
 とまれ、「わたし」は、差異即非様態に還元されよう。
 そして、それは、霊的様態であると考えられる。自我の土台の個と言えるのではないだろうか。そう、霊的個である。霊個である。
 そして、差異共立点MP1において、和、ゼロとなり、マイナス1が霊的直感されるのではないだろうか。
 そう、マイナス1の物自体は、超霊的な存在ではないだろうか。
 とまれ、虚軸界が霊界であるように思われるのである。後で更に検討したい。