ヴィジョンとは何か:2:差異共立・即非のスピリットとはマイナス1

ヴィジョンとは何か:2:差異共立・即非のスピリットとはマイナス1=霊的大地の「波動」である


本題は興趣があるので、さらに随想風に述べたい。
 例えば、山や山麓を眺めていて、一如差異共立(即非)感覚を感じるとしよう。「わたし」と「山」ないしは「山麓」とは一如である。
 この一如感覚において、「山」ないしは「山麓」にスピリットがあると言えないことはない。これは、D. H. ロレンス風に言えば、地霊spirit of placeである。(因みに、私は、奈良県桜井市三輪山のふもとの山の辺の道に、地霊を感じる。身体に浸透する「気」がある。)
 とまれ、このスピリットは、大地、身体と関係している。では、この大地、身体とは何か。物質的大地、物質的身体のことだろうか。つまり、プラス1だろうか。
 プラス1はプラス1であり、それには、スピリットや気はないのではないだろうか。
 プラス1の物質とは端的に死せるものであり、いわば、墓場である。
 ならば、三輪山の麓とは何か。その気やスピリットとは何か。
 結局、現象とは何か、ということになろう。
 直感で言えば、「天」と「地」の共立(即非)と共振があり、共振は三輪山の麓を形成している物質作用であり、共立即非は、スピリット、気を形成しているのである。
 後者において、ダーク・マターが関係していると言えよう。それが、三輪山の麓の不可視の大地、ダーク・アースDark Earthではないのか。つまり、マイナス1の不可視の大地である。
 これまで、マイナス1と差異共立・一如性の連携性、相互性については述べた。マイナス1から差異共立への転移は、再帰・回帰性をもち、つまり、反転性をもつと述べた。
 だから、差異共立・即非には、マイナス1の要素・エレメントが浸透していると見られる。端的に言えば、マイナス1=ダーク・マターと一如としての差異共立・即非様態である。
 故に、差異共立・即非のスピリット・気(霊気)とは、ダーク・マター=霊的大地のそれと言うことができよう。
 結局、三輪山の麓は単に、物質的大地だけでなく、マイナス1のダーク・マターの霊的大地でもあるということである。
 つまり、自然界はダーク・マター=霊的大地=霊的身体=Spiritual Beingに貫かれた、浸透された現象界であるということになる。
 このように見ると、一神教の錯誤が明確になる。それは、神から霊的大地、霊的自然である「母」折口信夫の「妣が国」)を否定していることである。それは、凸iに傾斜して、差異共立を否定して、差異共振性に傾いていることである。それは、自然の逸脱である。
 シュタイナーの説くルシファーは、おそらく、父権的一神教に作用しているのである。それは、悪魔的宗教なのである。
 鈴木大拙折口信夫やD. H. ロレンスの霊的大地の霊性こそ、本道・正道・正統である。