economyの概念について

デリダがエコノミーをある構築体として使用していたと思うし、また、古くでは、アリストテレスが悲劇論で使用していた(oikonomia)。
 デリダの意味は今一つわからないが、私はエコノミーをある秩序的な合理的な生成・能動的な構築体として考えられるのではないかと思った。
 oikonomiaは知られているように、原義は家政である。次のような意味もある。


【3】(組織における)有機的統一;(自然界などの)理法,体系,秩序;(有機的な)組織(体):
the economy of nature 自然界の秩序
the economy of a plant 植物の有機的営み.
小学館ランダムハウス


3 《古》 (自然界などの)むだのない運行, 理法; 有機的組織.
・the economy of nature 自然界の理法[秩序].
・the economy of a plant (葉が生じ花が咲き実ができ葉が落ちる)植物の整然とした生活の営み.
4 エコノミークラス (economy class).
・economy passengers エコノミークラスの乗客.
5 【神学】 (天の)配剤, 摂理; (人類の創造・贖罪(しょくざい)などに関する神の)計画.
・the Mosaic economy (神の経倫(けいりん)としての)モーセの律法.
・the Christian economy キリスト教神法, 新約経倫.
[株式会社研究社 新英和大辞典第6版]


私はeconomyに有機的統一、理法、秩序を強くもたせたいと考えている。思うに、natural economyが考えられるし、それは、自然的秩序を意味する。また、natural, social economy、自然・社会的秩序が考えられる。
 そのような意味でエコノミー総体を考えるのである。その視点から資本主義を見たとき、それは、economyのない経済である。
 端的に言えば、エゴイズムが交換価値を支配するからである。エゴイズムではなく、個や個の共同体の精神に基づけば、交換価値の支配はなくなる。
 結局、近代的自我や近代合理主義がeconomyを否定して、混沌化させているのである。
 また、国家のeconomyも必要であり、それは、地域等の必要を満たしつつ、整理されるべきである。
 今は問題提示に留めるが、PS理論的なエコノミーがあるのである。これまで、差異共振創造資本主義、自由共同体主義を提唱したが、より緻密な考察が必要である。
 以上から、資本主義ではなく、自然社会的エコノミーと言うべきである。その中で、資本はどういう意義をもち、いかに活用されるべきか考えられなくてはならない。


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国を富ますとは何か:精神的エコノミーと物質的エコノミー:PS理論的エコノミー


テーマ:滅びゆく日本と新倫理社会/有徳政治 へ


私は戦後生まれで、近代合理主義(唯物論)を金科玉条のように刷り込まれ、教育(洗脳)された。戦前のものはすべて悪であり、戦後のものがすべて正しいと。
 戦前の一番の元凶は国家神道であり、それの根源である国学一神教ナショナリズムである。しかしながら、精神性がなんらか重視されていたことは当然である。
 この精神性が戦後教育において否定されて、物質主義、欲望主義、金儲け主義が中心化されたのである。
 これは、アンラ・マンユ化である。戦前の場合は、ルシファー的であったと思う。
 とまれ、物質的教育と経済によって、物質的な富は生まれたが、精神的富は喪失された。
 ここが現代日本の大問題である。私は今の事態を、約30年前から予見した。何故なら、その時から日本人全体がエゴイズムに染まりだしたからである。言い換えると、魂、道徳心、倫理、モラルを見捨てて、集合的な自己中心的な生き方を始めたのである。その結果がバブルであり、小泉元首相のような破廉恥漢を生んだと言えよう。
 エゴイズムを克服する知恵は近代的思想にはないのである。何故なら、物質主義であるからである。精神は物質に従属すると考えられているからである。だから、閉塞し、袋小路になるのである。
 さて、今や、精神的価値を復興することが焦眉の問題の一つである。PS理論は、精神が根源であり、物質がそこから生まれるという観念論的物質論をもっているのである。これは、唯物論の正反対である。
 故に、精神的価値を主に置くのであり、物質的価値を従とみるのである。いわば、霊主体従である。
 この価値逆転の発想によって、現代日本の大危機から脱出することが可能になると考えられるのである。
 しかし、単純に精神的価値のみを説くのではなく、必要な物質的生活を満たすための富は必要である。
 つまり、精神的富と物質的富の二つの富を形成することが必要なのである。それが、PS理論的エコノミーと言えよう。


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民主党の同一性力学について:知性のない鳩山首相と連続的二項対立の小沢幹事長


テーマ:傀儡ペテン売亡国独裁主義国家癌民主党 政権


私は政権を取る前から鳩山由紀夫氏は、胡散臭く感じていた。なにか不明瞭なイメージであった。しかし、今や明白となった。鳩山氏には知性が常識がないので ある。精神の芯、核が欠落しているのである。PS理論では、それは、Media Pointである。いわば、魂であり、精神である。それが、判断の拠り所である。しかし、鳩山氏はまったく欠落しているのである。
 結局、言語的同一性を拠り所にしていて、まったく差異、個が欠けているのである。これは、愚鈍ということである。
 小沢幹事長であるが、彼は、典型的な近代合理主義者である。連続的二項対立主義者である。だから、小泉元首相に似ているのである。
 政治主導というイデオロギーで、官僚を否定するのである。これは、革命主義的であり、反動的なのである。
 小沢一郎氏にも欠けているのは、差異である。官僚も差異であり、その差異との共同によって政治は構築されなくてはならないのである。
 差異の秩序economyがあるのである。