悪霊マスメディア:権力依存のゾンビ・メディア:差異共振的ミクロメ

悪霊マスメディア:権力依存のゾンビ・メディア:差異共振的ミクロメディアへ向けて


テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築


小沢氏への献金問題に関して、マスメディアは、完全に御用化している。
 これは、マスメディアが権力や広告費に依存しているからである。つまり、マスメディア自身が、ジャーナリズムを否定しているのである。これは、マスメディアの死である。亡霊化したマスメディアであり、今や、ゾンビである。
 ジャーナリズムとは、基盤は個・差異・特異性にある。ここをまったく理解していないのである。だいたい、マスという形容がいけない。本来は、大衆の、大衆向きの、庶民の、等の意味であるが、元々は塊、多量、集団等の意味をもつのである。つまり、個の意味での民衆(個民)ではなく、集団としての庶民である。
 これでは、最初から洗脳的な意味合いが入るだろう。マスmass とは、いわば、団塊的である。民衆(個民)を集合的に捉えるこの見方は、明らかに、近代主義、近代合理主義的である。つまり、民衆を同一性と見る視点であり、同一性の集合としての大衆なのである。
 今や、トランス・モダン時代であり、個・差異・特異性の時代なのである。だから、メディアもそこへと「進化」する必要があるのである。
 それは、差異共振的メディアである。そして、今や、ブログがそのようなメディアになっているし、さらにそう進展するだろう。いわば、ブロメディア、ないしは、ブロディアである。
 とまれ、マスメディア、マスコミの解体が必要である。悪霊化しているのである。私は学生の頃から、新聞記者は胡散臭いと思ってきた。結局、近代的自我に基づいているのである。それは、同一性自己主義であり、父権主義なのである。
 そう、封建主義は、領主や大名という主人がいたが、近代主義は、近代的自我が主人になっていて、他者を隷属化するのである。つまり、近代主義は、封建主義の精神構造を継続しているのである。この意味でもトランス・モダン「突然変異」が必要である。