差異共振シナジーと虚無の闇空間、並びに、メディア空間の表裏面問題

差異共振シナジーと虚無の闇空間、並びに、メディア空間の表裏面問題:イデア・メディア空間の可能性


テーマ:プラトニック・シナジー理論


先に、虚無暗黒空間が、光の現象界を包んでいるが、それが、不明であると述べた。この点をさらに検討したい。
 問題は、差異共振空間の事象の事柄である。自己差異と他者差異との共振、i*(-i)の意味である。先には、これを原光と考え、この同一性として光の現象を考えた。また、さらに以前には、神話学的にイシスとオシリスの空間であると見た。つまり、イシスが闇で、オシリスが光と考えたのである。イシスの闇に浮かぶ光がオシリスであると考えたのである。この場合、当然、オシリスが太陽(太陽光)である。このオシリスの光が現象界を満たしていると見たのである。
 虚無暗黒空間を考える上で、後者の方が適しているようである。しかし、イシスの闇空間は、オシリスの光空間を生むのであるから、虚無暗黒空間ではない。自己認識方程式では、i*(-i)がイシス闇空間・原光空間・母体空間であり、⇒+1がオシリス光空間・太陽空間であろう。
 ここで、先に想定した区別、i→(-i)という陽意識・認識と(-i)→iという陰意識・認識に触れると、一神教は、前者に傾斜して、後者を否定している点に本質があるのではないかと考えられる。(明日野氏の垂直方向の認識方程式をこの場合使用すべきであるが、ここでは、おいておく。http://theory.platonicsynergy.org/?eid=422900 )つまり、陽意識・認識においては、iという自己は、自己自体を他者である(-i)に投影して、i*-(-i)⇒-1になるのである。それに対して、後者、陰意識・認識(-i)→iは、逆に、いわば他者投影して、(-i)*-(i)⇒-1になるだろう。これは、先に触れたが、近代合理主義とオカルト主義が一致することを意味するように思う。つまり、どちらも、反差異・連続的同一性なのである。つまり、物質を意味すると考えられる。《以前、オカルト主義は、差異を連続的同一性の枠・構造で見たものであると述べたが、ここで、それが数学&哲学(数哲理)的に証明されたと言えるだろう。》だから、陽意識・認識と陰意識・認識との均衡・即非・対極(太極)性において、真相意識・認識(「汝自身を知れ」(グノーティ・セアウトン)・コギト哲学)が形成・成立・確立すると言えよう。(一神教・西欧近代主義は、結局、ここから見るとおそろしく邪道・魔道・悪道なのである。)
 以上から推論すると、虚無的暗黒空間とは、やはり、-1の空間であると言えるだろう。私の心は、虚無的暗黒空間とつながっていると言ったが、それは、心には、「悪魔」が潜在すると言うことでもあろう。つまり、心には、+1の「天使」・「神の国」と-1の「悪魔」・「魔界」が、潜在しているのである。おそらく、揺れ動いているのだろう。(ここで、ユング/ヘッセのグノーシス主義アブラクサスを想起する。http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/y1-abrax.html )この考え方は、また、「アイロニカルな没入」にも適用できるだろう。また、宗教(キリスト教であれ、仏教であれ、イスラム教であれ)が、権力化して、反動化することの説明にもなるだろう。そう、国家ナショナリズム全体主義ファシズムの説明にもなるだろう。
 これで、本件の問題は、これで解明できたとするが、私のイメージ空間では、少し違う問題があるのである。私の直観イメージでは、差異共振シナジー空間(メディア空間)の二面(表裏二面)があるのであり、それが未整理なのである。+1の光の面と-1 の闇の面があるということでいいのだろうか。思うに、私の原風景的イメージの原光と光の空間は、i*(-i)と+1で説明ができるようである。不連続的差異論が創造されたときの私のメディア界(メディア空間)のイメージは、例えば、右側面が連続面で、現象界につながり、左側面が差異面で、イデア界につながるものであった。そして、前者を光に、後者を原光に関係させていた。D.H.ロレンスの黒い太陽、黒い神、未知の神が、後者であると考えたのである。ロレンスは、コスモスを志向したのである。当然、それらは、コスモスを意味するだろう。そして、プラトニック・シナジー理論では、i*(-i)ないしi*(- i)⇒+1がコスモスと考えられるのである。ロレンスが探究して発見したのは、このコスモスだと思う。とりわけ、i*(-i)のコスモスだと思う。しかし、ここは、実に両義的であり、揺れ動く世界であり、ロレンス自身、激烈に+1と-1の間で揺れ動いたと言えよう。明日野氏が、ロレンスの黒い太陽を-1 に置くのは、この点で理解できるのである。そう、ロレンスは、ある意味で、近代的分裂症を被っているのである。つまり、近代合理主義と神秘主義との分裂である。もっとも、「黒い」とは、「玄い」の意味で考えるべきであろう。だから、黒い太陽は、玄光となるだろう。つまり、真如の光である。阿弥陀仏である。大日如来である。天照である。
 結局、私の当初からの直観イメージによるメディア界の二面・表裏面性とは、+1と-1ではなくて、i*(-i)と±1のことであったと言えるのではないだろうか。換言すると、原光・玄光と光・闇の二面・表裏面性である。これで、私の長きに渡る疑問がいちおう、氷解したと言えるだろう。そこで、さらに直観イメージを発展させると、原光・玄光空間とは何であるのかということになるのである。つまり、イデア・メディア空間が考えられないのかという想起があるのである。メディア・現象空間がi*(-i)⇒+1であると考えられるのに対してである。メディア・現象空間をガウス平面とすると、それに垂直な平面が考えられないのだろうかと思うのである。つまり、Z軸を想定するのである。これが、e軸とならないのだろうか。Z軸ないしe軸上のイデア素ないし祖イデアが1/4回転して、i*(-i)のメディア様相を形成するのではないだろうか。つまり、零度差異共振シナジー様相である。とまれ、ここでは、直観イメージとして、イデア・メディア空間、YZ平面を提起するに留めよう。連想を続けると、量子・素粒子とは、i*(-i)を物質科学から捉えようとしたものであると考えられる。では、イデア素・祖イデアとは何なのだろう。絶対零度? 絶対共立? これは、何か、金剛界曼荼羅を想起させる。純知性界・純叡知界・純数知界である。イデアイデアである。私の感じでは、プラトンは、これもイデアと呼んでいるように思えるのである。つまり、プラトンイデアは、純知性界のイデアとメディア界のイデアの二つを意味しているように思えるのである。