近代主義とポスト・モダン:自己認識方程式の視点から

近代主義とポスト・モダン:自己認識方程式の視点から


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


i*(-i)⇒+1
ないし
e^i*e^(-i)⇒e^(i-i)=e^0=1
であるが、
問題にしたいのは、
i⇒-iの陽意識ないし+エネルゲイアのときの事象の構造である。
あるいは、+1ないし1の意味である。
これまで、⇒+1は、差異的同一性としてきた。何故なら、ここには、左辺の差異の生動・力動・賦活を感じているからである。
しかし、=+1のときが、反差異的同一性であると考えられるのである。これは、実際のところ、=−1と同じことではないのだろうか。
というのは、陽意識は、自身のiを他者の-iに付与するようになると考えられるからである。つまり、i⇒-iは、i*-(-i)となり、i*i=−1となるのである。
 思うに、i*(-i)⇒|1|としたらどうだろうか。あるいは、i*(-i)=|1|である。これは、差異的同一性も反差異的同一性も表示しているだろう。問題は、陽意識・+エネルゲイアのとき、+1ではなくて、反転して−1になると考えられることである。つまり、i→(-i)⇒−1だと考えられるのである。それに対して、陰意識・−エネルゲイアのときは、(-i)→i⇒−1となり、結果は同じになると思うのである。何故なら、志向性は、相手を否定するように作用するように考えられるのである。正確に言えば、志向性の終点が、他者否定作用をもつということである。だから、陽意識・+エネルゲイアのときは、(-i)を否定して、i*-(-i)=−1となり、陰意識・−エネルゲイのときは、iを否定して、(-i)*(-i)=−1となるということである。つまり、先にも述べたが、陽意識・+エネルゲイアの志向性の場合は、近代的合理主義であり、陰意識・−エルゲイアの志向性の場合は、神秘主義やオカルティズム等である。ここにおいて、「光」と「闇」は一致するのである。
 明日野氏の自己認識方程式(一人称)は、陽意識と陰意識、+エネルゲイアと−エネルゲイアとの均衡・交流・対極があるとき成立すると考えられるのではないだろうか。換言すると、即非のときである。零度のときである。そう考えられるならば、近代主義とは、即非・対極性が解体して、分裂したものと言えるだろう。というか、陽意識・+エネルゲイア中心になったということである。これは、先には、西欧のキリスト教会文化に拠ると考えたのである。つまり、西欧キリスト教会文化意識が、陰意識の理性を否定するので、理性は陽意識のみにはたらくことになるのである。だから、本来、即非・対極性である「精神」領域が、陰意識・−エネルゲイアを排除されて、陽意識・+エネルゲイア中心になったのである。つまり、「精神」・思惟が能動的陽意識=近代的自我となったのである。反差異的同一性である近代合理主義の発現である。つまり、近代主義の「光」とは、「闇」(=−1)なのである。デカルト哲学の混乱があるのである。コギト哲学は、⇒+1=自己の哲学であるが、デカルト合理主義は、⇒−1=自我の哲学なのである。そして、近代は、前者を忘却して、前進するのである。結局のところ、近代主義の発達は、キリスト教会のバイアス/イデオロギーが原因であったのである。宗教改革は、キリスト教会的反動と言えるだろう。結局、近代世界とは、−1の倒錯の世界なのである。戦争・暴力・狂気等々が支配的なのは当然なのである。近代世界が根本的に狂っているからである。
 とまれ、近代主義化によって、資本主義が進展して、精神は超越論性を喪失するのであり、世俗化が中心となるのである。しかしながら、陰意識・−エネルゲイアが否定・排除・隠蔽されても、それは、潜在的に実在しているのであるから、⇒+1は、出現するのである。結局、近代とは、−1と+1の併存する世界と言えるだろう。そして、ポスト・モダンとは、⇒+1の世界の取り戻しなのである。そう、近代合理主義と神秘主義は、−1という点では共通なのである。裏返しに過ぎないのである(また、アイロニカルな没入も同様に説明できるだろう)。シャーロック・ホームズを生んだコナン・ドイルが、オカルト主義者であるのは、不思議ではなく、当然なのである。近代合理主義とオカルト主義は、倒錯という点で同一なのである。また、両者、反差異的同一性という物質形式をもっているのである。だから、近代合理主義とオカルト主義との相補性を説いてもいいだろう。真の合理主義は、超越論的合理主義である。⇒+1である。これは、スピノザフッサールが説いた理論と言えるのであり、ここに真正な、正当なポスト・モダン理論があるのである。ポスト・モダン=プロト・モダンである。これは、コスモス的光明の世界である。そして、近代世界は、現象的暗黒の世界なのである。だから、ダークエネルギーというのは、呼び方が反転しているのである。本当は、光明エネルギーである。つまり、+1のエネルギーである。近代の−1のエネルギーこそ、ダーク・エネルギー、暗黒エネルギーである。つまり、物質エネルギーとは暗黒エネルギーなのである。悪魔のエネルギーなのである。