思考実験:三次元と虚軸

思考実験:三次元と虚軸
テーマ:四次元時空間
検討問題(06/7/8)

 虚軸の内在性の幾何学・空間の描像化へ向けて:例えば、次のように考えよう。ガウス平面・複素平面で、実軸X軸に不連続的差異(絶対的差異・原イデア・プロトイデアproto-idea)が存するとしよう。そして、1/4回転(90度回転)で、虚軸Y軸へ移動する。このとき、垂直へ捩れて、Z軸が発生すると仮定しよう。即ち、1/4回転によって、不連続的差異(以下、差異)は、Z軸へ移動するとしよう。思うに、Y軸からZ軸への無限速度の移動があるのではないだろうか。即ち、Y軸即Z軸である。では、Z軸は、虚軸なのか、実軸なのか。おそらく、虚軸ではないだろうか。つまり、YZ平面は、虚平面であろう。そして、さらに1/4回転が発生すると、元の差異は、マイナスX軸へと移動するだろう。そして、Z軸上の差異も1/4回転で、マイナスX軸へと移動するのではないだろうか。そして、マイナスX軸が現象界ではないだろうか。
 もし、そうならば、3次元はどこに形成されるのだろうか。以上からは、X軸とZ軸による二次元平面が形成されるだけである。(Y軸虚軸は、時間軸としたい。)人間の視覚の基本空間は平面であろう。しかし、それを立体面にするのは、何か。以上から見るなら、それは、Y軸虚軸が立体を生み出すと言えるだろう。XZ平面に対して、Y軸が入ると、3次元となる。そうならば、時間軸が、奥行きを形成するのである。(ヌース理論の半田氏が、以前、Y軸を奥行きの軸であると述べていた。)つまり、奥行き次元は、時間軸の方向ということになるだろう。そうならば、時空四次元とは時空三次元ということになるだろう。奥行き空間次元が時間次元と重なるのだ。こう見ると、プロト近代において、遠近法が発達した理由がわかるだろう。時間次元の内在化がプロト近代であり、そのために、奥行き次元が芽生えたと言えるだろう。
 問題は複雑である。なぜ、時間次元が内在化したのだろうか。それは、新たな1/4回転があったからだろう。虚軸への新たな1/4回転である。思うに、X軸実軸上の差異は、Y軸虚軸を志向するだろう。それは、期待・予見のようなものである。思うに、これが、信仰に関係するのではないだろうか。実軸にあるが、虚軸である世界を希求する。そして、ついには、1/4回転が実現する。このとき、Y軸とZ軸が同時形成されて、差異共振シナジー(=メディア界)によるエネルゲイアが発動して、創造的になる。おそらく、これが、創造的エポックの意味ではないのか。つまり、奇数回の1/4回転が創造期であり、偶数回の1/4回転が安定期ではないのか。
とまれ、プロトモダン(原近代)は、新たな奇数回の1/4回転であったのであろうが、虚軸が徹底的に内在化するのである。
 とまれ、プロトモダン(原近代)で、三次元空間が形成されたとしよう。そして、これは、同時に四次元時空間である。アインシュタイン相対性理論は、これを、同一性=光速度によって理論化したものだろう。プロトモダンの問題は、内在している時間軸・虚軸の意識化・知性化にあると言えるだろう。ロマン主義以降、諸科学は、このことに関わってきたと言えようし、自然科学も、20世紀初期において、これに関わり、相対性理論量子力学を創造してきたのである。《四次元》の問題であった。時間軸・虚軸、虚次元、複素数次元、「イデア」、差異の問題であったのである。つまり、実軸は、連続・同一性を形成するのであり、虚軸次元を認識できないのである。現象学は明らかに、この問題に接近した。そして、ポスト構造主義もそれなりに接近したが、ドゥルーズ哲学からわかるように、構造主義から十分脱出できなかったのである。思うに、構造主義とは、カント哲学の超越論的主観形式ではないだろうか。精神分析は、性欲中心主義に限定されてしまっていて、連続同一性の現象界に留まっているのである。
 問題は、連続・同一性である物質主義の強さである。ドゥルーズはこれに囚われていたのである。そして、ヌース理論の半田氏もそうである。連続・同一性の拘束から脱出するには、差異の不連続化が必要であったのである。これにより、虚軸、虚次元が明確に出現したと言えよう。それまでは、根源は、現象界と連続していたのである。(ここでは、神の死の時代を考えているのであるから、超越神の次元はもはやないのである。)しかし、不連続的差異の発見によって、現象界から切断された内在次元である虚次元・虚軸が発見されたのである。それが、差異共振シナジー次元(=メディア界)である。これにより、哲学と数学が、再び、一体化したと言えよう。哲学と複素平面が一体化したのである。哲学と数学の「結婚」である。古代ギリシアの数学即哲学の次元を回復したと言えよう。
 とまれ、モダン・イノヴェーション(モダン革新)の意味がこれで、明晰・明確化したと言えるのである。即ち、混迷・混乱・混沌のポストモダンポスト構造主義に、プロトモダンが取って代わったのである。不連続的差異共振シナジー次元である虚軸(=メディア界)の発見、これが、真に創造的なのである。近代の再創造と言ってもいいのである。「四次元」とは、この虚軸であったのである。そして、これは、経験論的には、身心のことであると言えよう。そう、奥行きに、虚軸・時間軸があると言えるだろう。そして、奥行きとは、経験論的には、身体のことであろう。身体が虚軸・時間軸になるのだろう。視覚精神が三次元ならば、それは、身体次元を内包していると言えるだろう。視覚と身体との一体化があるのである。そして、これが、ミクロコスモス=マクロコスモスである。自己特異性である。そう、虚軸とは、身体次元と言っていいだろう。ここでは、奥行きが、鉛直化するのである。奥行き次元が、地下化するのである。地平が地下となるのである。そして、地下が地平化するのである。地平⇔地下である。ここで思うに、ケルト神話や日本神話等の他界観は、ここに根差しているのではないだろうか。水平線が地下化されるのである。虚軸・時間軸が他界となるのであるが、それは、生命の根源を指しているからであろう。キリスト教における無からの創造も同じことであろう。無とは、虚軸・時間軸であろう。そして、大乗仏教の空も同様であろう。また、グノーシス主義の至高界やカバラユダヤ神秘学)のアインソフも同様であろう。すべて、虚軸・時間軸を指しているのだろう。天地創造とは、正に、虚軸・時間軸のことであろう。
 ここまで述べてきて、ヌース理論の半田氏が述べていることは、近似値的に正しいことがわかるのである。ただ、ヌース理論は、連続・同一性を基盤にしているので、虚軸を実軸にしてしまっているのである。本来は原光(超光速)を光にしているのである。差異共振シナジー界=メディア界を現象界=物質界と同一視してしまっているのである。これは、ニーチェが批判した世界背後論である。超越性理論である。しかし、不連続的差異/新イデア論NEW PLATONIC SYNERGY THEORYは、世界をイデア界が包摂しているものであると捉えているのである。つまり、世界・宇宙現象とは、イデア界の発現であり、それは、自己特異性のミクロコスモスと等価の世界であり、それは、差異倫理の世界でもあるから、倫理行為が必然であるのである。阿弥陀如来の祈念とは、全く正しいのである。そう、内在しているイデア共振コスモスは、倫理エネルゲイアをもつのであり、それは、現象界をイデア共振コスモスへと革新するのである。大乗仏教は全く正しいのである。それは、差異共振居シナジー界の叡知である。