思考実験:イデア界・ガウス平面における回転と不連続的差異論の三層

思考実験:イデア界・ガウス平面における回転と不連続的差異論の三層構成の関連性


思考実験:『イデア界・ガウス平面における回転と不連続的差異論の三層構成の関連性:元素差異(不連続的差異)の回転と元素差異の三層的展開の関連性』

今簡単に触れると、イデア界・ガウス平面において、無数・無限の元素差異(不連続的差異・イデア)が、1/4回転を反復し、回転するが、その回転と不連続的差異論の三層的展開との対応は、どういうものであるかということである。
 第1回目の1/4回転(以下、第一回転)において、イデア/メディア境界が生起する。しかし、これは、同時に、Z軸方向への捩れを発生させ、メディア界を形成し、また、現象界を形成するということではないだろうか。そうすると、これまでの、考えを修正する必要がある。つまり、不連続的差異・イデアの1/4回転が、メディア界を発生させ、同時に、現象界を発現(仮現)させるということである。そうすると、三層構成の位置はどうなるのだろうか。
 不連続的差異・イデアが、X軸上のP点(1,0,0)にあるとする。第一回転で、不連続的差異は、Y軸上のQ点(0,1,0)にあるが、Z軸方向へと捩れるので、その結果、捩れた不連続的差異(これをメディア差異と呼ぶ)はYZ平面にあることになるだろう。これを、Q1点(0,y,z)の位置にあるとしよう。最初のX軸上の差異をP点とすると、第一回転で、Q1点に回転移動したとしよう。原点をOとすれば、OQが、 イデア/メディア境界であり、OQ1がメディア界となるだろう。不連続的差異・イデアを軸で考えると、X軸がイデア界であり、Y軸がイデア/メディア境界である。
 現象界を考える前に、2回目の1/4回転(以下、第2回転)を考えると、不連続的差異は、R(−1,0,0)にあるが、捩れた不連続的差異(メディア差異)は、R1(−1,0,2z)にあるとしよう【ここで、問題点をあげておくと、このR1は、(−y,0,2z)ではないかという疑問があることである。これは後で検討したいので、ここでは、このままで思考実験を続ける】。これは、先に述べたように、《空》(くう)となる。つまり、第一回転で生成したメディア差異の消滅である。そして、第3回転では、不連続的差異は、S(0,−1,0)にあり、メディア差異S1は、(0,−y,3z)にあり、そして、第4回転では、不連続的差異は、+X軸へと回帰する。しかし、メディア差異は、(1,0,4z)にある。
 さて、現象界について考察しよう。長い間、メディア界の1/4回転として、現象界を考えてきた。しかし、先の考察からすると、現象界は、原点0、不連続的差異P、メディア差異Q1、Qy(これは、Q1をY軸上の点である)の作る3次元立体ではないかと思われるのである(作業仮説)。つまり、メディア差異の微分から積分が発生して、3次元立体(XYZ直交座標)が発生すると考えられるのである。先に、メディア差異の《差延》として、積分=現象化を考えたのである。即ち、2次元であるメディア差異が、《差延》のために、立体化(仮現)されたと考えたのである。【そして、ここでは、0PQ1Qy立体がそうではないかと述べたのであるが、問題点は、Q点である。イデア界・ガウス平面において、第1回転は、PからQへと回転移動するが、発出上は、Q1へと捩れるのである。だから、QとQ1との関係を考えなくてはならない。これは、また、立体OPQQ1と立体OPQ1Qy との関係の問題でもある。あるいは、OQとOQ1との関係の問題である。この問題は、後で検討を続けたいので、ここで留めておく。】この考えでは、メディア差異が、現象界を《差延》的に、仮現させるのである。ここに、これまで考えてきたメディア/現象境界・同一性構造の考えを入れてみよう。端的に、メディア/現象境界とは、幾何学的にどこにあるのであろうか。とりあえず、Z軸をメディア軸と呼んでおこう。これは、メディア差異の軸である。(また、時間軸と呼べるのかもしれない。あるいは、光軸と。先の考察では、試行錯誤で揺れ動いていて、最初、時間軸をZ軸として、次に、時間次元として、捩れ次元を考えたのである。ここでは、戻して、Z軸を時間軸・光軸にしよう。)そう、XYZ直交立体座標は、思うに、メディア差異空間ないしメディア空間と見ていいだろう。3次元で、不連続な、対生成消滅的な、螺旋的形状をもつと言えるだろう。だから、ここには、現象界はまだ発現していない。この、言わば、メディア立体は、《差延》によるが、それは、メディア的《差延》である。確かに、平面的《差延》を仮現し、また、立体的《差延》を仮現すると思われる。
 では、現象化は、実際は、どうなのであろうか。あるいは、メディア/現象境界・同一性構造(父権化:ヤハウェ化)は、どう幾何学的理論化できるだろうか。メディア/現象境界・同一性構造は、差異1☯差異2/→/差異1=差異2(差異1・同一性・差異2)と図式化できる(/→/を変換記号とする)。OQ1というメディア差異(差異1☯差異2)から現象差異同一性(差異1=差異2)へと変換するとき、どう幾何学化されるのか。私は、この変換も、1/4回転によると考えていたのである。それで、3回の1/4回転で、現象化されると考えてきたのである。だから、XYZ軸に直交する「P軸」を考えたのである。しかし、先の考え方では、メディア差異に同一性化の次元を入れて、4次元としたのである。しかし、同一性の次元、第4次元は、メディア差異の軸にはありえないだろう。それは、メディア軸と直交しなくてはならないだろう。すると、さらなる、垂直の捩れが必要であり、それは、第2の1/4回転によると考えられるのである。しかし、この第2の1/4回転と、イデア界・ガウス平面における第2回転とは、どういう関係になるのだろうか。ここが、この問題の核心の一つだろう。
 前者は、メディア差異からの1/4回転であり、後者は、イデア/メディア境界からの1/4回転である。しかし、これは、同一事象である。イデア界・ガウス平面の回転が、メディア差異の回転を発生させるからだ。だから、問題は、第2回転の意味の再検討である。これは、先の考察では、ゼロ化が解消して、メディア差異が消滅すると考えた。つまり、《空》の発生である。あるいは、《無》の発生である。しかし、これは、メディア差異空間で考えていることである。これは、量子力学の世界の事象である。しかし、問題は、第2回転は、単に、メディア差異空間(量子力学)の問題だけではないと考えられることである。
 ここで、直観的に言えば、第2回転において、メディア差異空間から、現象が飛び出るのである。ここで、だいぶ以前の考えに近づくが、第一回転は、確かに、垂直に捩れるが、軸の問題では、イデア/メディア境界の軸、Y軸が、Z軸に転換すると考えたいのである。メディア差異は、確かに、(0,y,z)にあるが、ここで、メディア軸であるZ軸が発生すると考えるのである。それは、不連続的差異をメディア差異として見る軸である。つまり、Y軸では、不連続的差異は、イデア性とメディア性との矛盾的同一の状態にあるが、Z軸では、不連続的差異は、完全にメディア性を帯びている、即ち、メディア差異、連続的差異となっているのである。つまり、Z軸はゼロ度・ゼロ化の軸である。そして、不連続的差異は、このとき、Z軸化するのである。つまり、(0,0,1)となるのである。おそらく、これが、以前あいまいに想像していたことの真相ではないだろうか。つまり、第1回転によって、不連続的差異・元素差異は、Y軸からZ軸へと捩れるのである。これを作業仮説としよう。だから、回転は、イデア界・メディア界の回転と、メディア界・現象界の回転の2種類発生すると考えられるのである。前者は、先に述べたように、メディア差異空間を形成するのである。後者は、現象界を発現・仮現するのである。
 では、現象化を考察しよう。これは、第2回転である、Z軸からの1/4回転によると考えられる。Z軸からさらに垂直に回転する。ここで、達した軸をV軸としよう。V軸は、XYZ軸と直交しているのである。そして、これは、メディア/現象境界の軸である。メディア差異と同一性の矛盾同一性がある。そして、これも、第1回転と同様に、さらに、W軸を発生させるだろう。これは、同一性軸である。結局、第1回転で、Y軸(イデア/現象境界)とZ軸(メディア軸)が発生し、第2回転で、V軸(メディア/現象境界)とW軸(現象軸)が発生した。そうすると、第2回転によって、5次元時空間が発現したことになるのである。そして、第3回転、第4回転は反転となり、イデア界への復路となるのではないだろうか。これが、一回転の新たな意味となるだろう。
 ここで少し整理すると、イデア界=XY空間、メディア界=YZV空間、現象界=VW空間となるだろう。そして、現象界とは、同一性空間と考えることができるだろう。そう、第2回転によって、メディア差異が否定され、排除されるのである。(そして、これがヤハウェの意味するものだろう。)
 では、この5次元の意味を考察しよう。W軸は同一性軸であり、自我軸である。つまり、5次元には、意識が入るのである。では、時間軸は何だろうか。それは、やはり、Z軸・メディア軸であろう。そして、時間軸は、直観では、光軸である。いわば、時間・光軸が、現象界を発現(仮現)させるのである。とまれ、5次元とは、時空意識5次元あるいは時空自我5次元である。結局、回転は、2種類発生するのであり、一つは、メディア差異空間を疑似螺旋的に形成し、一つは、現象時空自我意識5次元空間を発現(仮現)させると考えられたのである。 
 思うに、ベルクソンハイデガードゥルーズ路線の《差異》とは、前者ではないだろうか。これは、量子力学に関係するのであるが。そう、ここで、ついでながら言えば、標準理論は、基本的な4つの力を考えているが、それは、自我意識の力が欠落しているのではないだろうか。5つの力にしないと、整合性がないのではないだろうか。空海は、五大に皆響きありと言った。東洋は、四大ではなくて、五大五輪地水火風空と言うのである。空が自我意識ではないだろうか。梵我一如(アートマンブラフマンの一如)である。

後記:以上、思いつくまま書いてしまった。これは、思考実験なので、当然、参考的試論に過ぎないのである。後で、冷静に、丁寧に再検討したい。